卒業生F君の披露宴の祝辞で、ゼミ教員は何を語るのか

 大学4年間はその人の一生を左右するほど大きな影響をその人に与えます。
 大学時代は、高校時代とくらべて、他者から強制されることは相対的に非常に少なくなります。それが「大学生は自由だ」という意味です。たとえ、縦社会の強い体育会系の部活動であっても、自分で納得して参加している場合がほとんどだと思われます。アルバイトをしないと生活できないという制約条件があったとしても、どんなアルバイトをどのようにするかは本人の選択次第です。大学時代の行動の多くは「自分から選択して」とった行動なのです。それは、その学生の「人となり」を説明する有力な材料になるのです。
 「人となり」を説明する材料は部活やアルバイトだけではありません。文系の場合だと「どんなゼミを選択したか」とか「ゼミを通じて何を勉強したか、どのような活動をしたか」ということは、多くの場合、その学生の「選好」の結果です。ゼミの内容は教員によって違うのが普通です。ハードなゼミもあればほったらかしのゼミもあります。勉強や活動がハードなゼミを選ぶ学生は、その理由はどうあれ「わざわざ自分から進んで」ハードなゼミを選んだ学生なのです。
 ハードなゼミとは、大体の場合、勉強しかしないゼミではありません。ハードなゼミは、例外なく教員が教育熱心です。教育熱心な教員は、勉強だけを教える教員ではありません。課外活動やゼミ合宿、飲み会なども必ずやっているはずです。
 したがって、ハードなゼミほど通常は就職状況が良くなるはずです。彼らは自主的にそういうゼミを選んだのだし、勉強も他の学生よりしているはずです。また、ゼミを通じて、仲間と濃密な関係を築く経験を人よりも多く積んでいます。
 さらには、ゼミの先生という「実社会には滅多にいない異質な世界にいる変な大人」とも長い時間接しています。学生は、ゼミの先生が変人であっても、尊敬できる人であるからこそ、ハードなゼミを継続して選択するのです。それは大学生にとって非常に大切な経験です。その結果、たとえ週1回のゼミだとしても、熱心なゼミであればあるほど、ゼミ外活動やゼミ合宿などを通じて、ゼミ教員と学生の関係は強まります。だからこそ、ゼミ教員は「恩師」と呼ばれるのです。
 他方、ゼミ教員は、自分のゼミの学生を少なくとも1年間、長ければ4年間みます。そういう長い時間をかけて学生を見ると、その学生の「能力」だけでなく、「人間性」も見えてきます。ちょうど小学校の担任の先生が通信簿で科目の評定とは別に「所見」を書けるようなものです。ゼミ教員とは、長い時間かけて面倒を見た学生に対して「所見」を書ける立場にあるのです(だから、大学の成績表にゼミ教員の所見欄がないのは不思議なことです)。
 さて、そういうゼミ教員は、しばしば卒業生の結婚式や披露宴に招待されます。祝辞を頼まれることも多いでしょう。なぜなら、ゼミ教員は「長い時間かけて見たその人の学生時代の人間性」を語ることができるからです。そして、「学生時代に自分自身で選択したゼミにおいて、教員から見える人物像」とは、卒業後何年経とうがその人の重要な「人物評価」になるのです。

 ここに、F君という卒業生がいます。彼はC大学を卒業してから地元超大手有名企業のJ社に入社し、5年後に結婚しました。そんなF君は披露宴で大学時代のゼミ教員にスピーチを頼みます。F君が3年間所属したゼミの教員は、たとえばこんなスピーチができるのです。

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 本日は、F君、◯◯さん、ご結婚のおめでたい席にお招きいただきましてありがとうございます。両家ご親族の皆様、本日は誠におめでとうございます。私は、C大学で教授をしております。F君は、◯◯年にC大学に入学し、彼が2年生の時から卒業するまで私のゼミに所属しておりました。
 その後、F君はJ社の社員として様々な経験を積み、大きく成長していることと思います。したがって、私が知っている大学時代のF君をここでお話しても、現在のF君とは全く違うかもしれません。ただ、私自身もそうですが、社会で様々な経験を積めば積むほど、大学の4年間がいかに大きなものであるか、自分にいかに大きな影響を与えているかを改めて実感するようになります。
 そこで、人生の一つの大きな節目にあたる今日のおめでたいこの時に、私の祝辞をきっかけとして、F君自身が大学時代を振り返るのも悪くはないかもしれません。私は、F君を3年間見てきたので、実はいろいろな話ができますが、この場では、F君の大学2年から3年にかけてのゼミの様子を紹介したいと思います。
 F君は2年生になって私のゼミに入ってきました。私のゼミが面白そうだと思って自分から進んで入ってきたのです。その頃、私は大学に隣接するG商店街という古い商店街と関わることになりました。当時、大学の教育として地域連携活動が注目され始め、様々な大学がまちづくりに関わるようになっていました。私自身もそういった活動に興味を持ち、地域社会の課題を考えるうえで、ゼミ活動の一環として取り組もうとしていたのです。
 ゼミでG商店街と関わるやいなや、F君達は様々なアイディアを自分たちで提案し、あっという間に実行に移していきました。お店でお手伝いをしながら商店街を観察すること、昔の商店街の写真を集めること、商店街の祭りをゼミ主導で企画・実施すること、カフェをみんなで作って運営すること、50年前に商店街の人達がやった仮装行列を再現することなどなど、たくさんあります。一つ一つがものすごく濃い内容だったし、反響も大きいものがありました。今振り返っても、たった2年間で、あれだけのことを成し遂げられたのはすごいことでした。
 F君は、商店街でゼミが始まった途端に、先陣を切って活動に乗り出しました。そんなF君は、ゼミの仲間から信頼されるだけでなく、商店街の人達からも愛されるようになりました。お手伝いをしたI酒店のIさんからも本当に可愛がられていましたし、多くの商店街の人たちからも人気者でした。彼はとても愛想よく、頭の回転が早く、ユーモアがあり、好奇心旺盛でした。さらに、これが私は最も素晴らしい資質だと思うのですが、素直なうえにいつも一生懸命でした。彼は世代をこえて人から愛される資質、一緒に仕事をしたいと思わせる力を持っています。それはいつも素直なことと一生懸命だからだと僕は思っています。
 彼はゼミと商店街が関わるあらゆることに、すべて中心メンバーとして関わっていました。商店街の方々を呼んで学内で行ったプレゼン大会、北海道でゲストとして参加した全国合同ゼミ大会、とある大学からもらった賞の授賞式でのプレゼンなど、ゼミにとって大切な場面で彼はいつもそこにいて、いつもプレゼンをしていたような気がします。
 F君がプレゼンをするとみんなが聞き入るのです。かれは、表面的できれいな言葉を並べるのではなく、活動のその時その時に自分の心の底で生まれた感情をきちんと言葉で表現しようとします。そういう言葉はみんなの共感を呼びます。だからこそ彼はみんなから信頼されるのです。
 さて、F君がC大学に入学したのは、明らかに不本意入学です。彼はO県の立派な進学校の出身です。彼からすれば、本学に進学するのは気が進まないことだったはずです。しかし、「自分はこんな大学に来るはずじゃなかった」と考えず、「この大学で面白そうなことを思い切りやって、自分の可能性を追求してみよう」と考えたのです。それが彼の素晴らしいところなのです。
 そういう彼の考え方・行動の仕方は、その後もきっと仕事で発揮されていることでしょう。彼が今でも、どんな仕事が与えられても、「この仕事になんの意味があるのか?」とか「自分がやる意味がどこにあるのか」といった態度を取らず、いつも一生懸命に目の前の仕事に取り組んでいるとしたら、そして、仲間を大切にしながら、周囲に良い影響を与えながら仕事を進めているとしたら、それは大学時代の経験が生きているからだと私は思います。彼は素晴らしい大学生活を過ごしました。それは自分自身でそういう選択をしたからなのです。
 今後もきっと、F君は人生の節目節目でそういう選択をするはずです。◯◯さん、彼の良いところは、周りに良い影響を与えながら、自分自身の所属する環境や組織を変えていくところにあるのです。それこそが彼が周りから愛される理由なのです。F君、これからは、◯◯さんのために、自分たちの家庭をよりよいものにしようという努力を行って欲しいと思います。
 最後になりますが、お二人のご両家の皆様と本日ご参列の皆様のご健康とご発展をお祈りいたしまして、祝辞と代えさせて頂きます。本日は、まことにおめでとうございました。

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 この祝辞は、つまりは、相手の親族や職場の上司・同僚たちに対する、大学時代の教員からの「推薦状」です。良い所をひたすら誇張するところも推薦状と同じですが、長い時間かけて面倒を見た学生に対する推薦状とは、それがたとえ全面的に褒め上げる内容であっても、そこには真実に近い「人物評価」が含まれているのだと思います。

 私は、ゼミの学生に対して、卒業後だけでなく、就職活動時に、こうした「推薦状」を与えるべきだと思うようになりました。推薦状とは、「長い時間を通じて、教員に見えてきた学生の姿」です。それは学生自身が、就活セミナーでアヤシイ「自己分析」をするより、よっぽど自己理解を深める上で「役に立つ」ものだといえるのではないでしょうか。それがゼミ教員の役割の一つではないかと、私は最近思っています。