二つの課題解決力と当事者意識〜課題解決提案型授業は学生の課題解決力を育成するか

2015年7月15日の『教育学術新聞』に掲載された記事です。5ヶ月ほど前の記事ですが、少し加筆してブログに転載します。

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課題解決策提案型授業は課題解決力を育成するか
 課題解決力とは、産業界ニーズの高い汎用的技能(ジェネリックスキル)の一つとして、いまや大学教育改革の中で概念としては定着してきた感がある。多くの大学において、課題解決力育成のために、初年次科目やPBL科目等で「課題解決策を提案する」タイプの授業が実施されることが増えてきたように思われる。ただし「課題解決力」の意味は多様である。曖昧なまま用いられていることもある。「課題解決力育成」をめざした教育プログラムが、本当に学生の課題解決力の育成につながっているのか疑わしい時もある。
 筆者は、平成24年〜26年において実施された文科省の「産業界のニーズに対応した教育改善・充実体制整備事業」において、九州・山口グループの8大学による学修評価サブグループ(以下本グループ)として、課題解決力の育成と検討に取り組んできた。具体的には、8大学の学生で構成される学生グループ(1グループ4〜5名)を編成し、課題解決力育成のための様々な研修を試行したり、企業や団体の協力のもとで課題解決型インターンシップに参加させるといった取組を行い、その結果や効果を検証する評価制度の確立に取り組んだ。
 そのうちの一つとして、様々な資料やデータを読み取らせることを通じて思考力、知識活用力、課題解決力を育成するための研修を複数回実施し、教室の中で課題解決力をどのように育成できるかを検討してきた。具体的には、8大学から集めた学生50人程度を5人1グループに編成し、ジグソー学習法などのグループワークの手法を用いて多くの資料を読み、ブレーンストーミングKJ法を使いながら問題点や課題を発見し、そのうえで解決策を構想して、最後にグループごとにプレゼンするというプログラムを1泊2日で集中的に実施した。扱うテーマとしてはその時々のトピカルな課題(例えば「女性が輝く社会づくり」とか「地方創生」など)を選び、教材も大学をこえて様々な教員が集まって協働で作成した。この研修を実際に実施する中で気づいたことは、課題発見の段階では鋭い視点がみられたものの、解決策という点から見ると、学生チームの多くは、「職場での託児所の整備」といったあまりにありふれた内容しか提案できなかったということである。
 他方で、本グループが企業や自治体等の協力を得て実施した課題解決型インターンシップでは、一部の学生チームは会議室にこもり、模造紙とポストイットを前に延々議論する場面が見られた。上に述べた研修が裏目に出てしまったのである。我々は学生たちに、現場に戻ってもっと人の話を聞き、情報を集め、自分の目で観察するようにと指導せざるをえなかった。
 このようなことは多くの授業やインターンシップで起きている。しかも、解決策の提案に際して、「学生らしい視点で」という条件をつけようものなら、提案される解決策はSNSを利用したプロモーションやゆるキャラの導入、ご当地食材を活かしたB級グルメの提案といったワンパターンで独創性のないもののオンパレードになる。
 なぜこのようなことになってしまうのだろうか。


二つの課題解決力の育成方法の違い
 ここで指摘したいことは、課題解決力には、「リテラシー(知識活用力)」としての課題解決力と、「コンピテンシー(経験によって蓄積される力)」としての課題解決力の二種類があるのではないかということである。
 リテラシーとしての課題解決力とは、いわゆるPISA型学力のリテラシー領域に近い概念である。「知識をもとに考える力」や「知識活用力」と言い換えることもできるだろう。このスキルを、もう少し細かいプロセスに分解すると、「情報収集力→情報分析力→課題発見力→構想力→表現力」という一連の流れとして説明できる。大学においてレポートや報告書、論文を書く際には、このプロセスを回す力が必要になる(実際には各プロセスを行きつ戻りつするが)。
 この課題解決力のうち、最も重要なポイントは、「課題発見力」すなわち仮説構築力であろう。現実の様々な現象を分析し、その中から真の課題を発見し、その課題を生み出している要因を特定できれば、すなわち因果関係のセットを発見できれば、課題解決の8割は達成したようなものだ。
 仮説構築能力とは科学的思考そのものであり、社会科学や工学分野では研究活動の本質的な部分だといってよい。社会科学系の論文においても仮説構築ができれば論文の骨格はほぼ完成したようなものだと言われることが多いのも、課題発見力の難しさとその重要性が伺えるだろう。その意味では、リテラシーとしての課題解決力はジェネリックスキルではありながらも、専門教育を通じた育成が重要になる。
 たとえば、企業から課題を与えられるようなPBLにおいては、経営学科の学生ならば、社会科学的な仮説構築の方法論を用いてから現実の課題を発見し、說明できるようになることはもちろん、経営学フレームワークや理論を用いることも望まれるだろう。だが、初年次の段階で知識ストックが不足していたり、仮説構築の方法論に慣れていない初年次の学生では表層的な解決策しか提案できないのも当たり前である。そればかりか、何を指摘すればよいか分からない学生にとっては、モチベーションが低下することもしばしば見受けられる。したがって、初年次教育の中でこうしたPBLを実施することには少し無理があるように思われる。2年次以降の講義科目や演習科目を連動させたうえで本格的なPBL科目を実施するカリキュラムを導入している大学も見受けられる。
 このようなカリキュラム上の工夫は必要だが、それだけでは十分ではないように思われる。リテラシーとしての課題解決力は、社会で必要となる課題解決力の一面でしかないからである。
 社会の現場では、課題が発見され解決策が提示されるだけでは物事は解決しない。コンサルタントの仕事としてはそれで完結するかもしれないが、実際には組織の一員としてその解決策に取り組み、粘り強く実行・改善を続けることが不可欠である。現場では、課題解決のために、コミュニケーション能力などの対人スキル、主体性やストレスマネジメントなどの対自己スキル、刻々と変化する状況の中で計画を柔軟に修正するといった対課題スキル、そして何よりも結果を出すまで粘り強く試行錯誤を続ける「実行力」といった総合的なコンピテンシーが求められる。これはリテラシーよりも広い観点からのスキルのことであり、OECDのDeSeCoプロジェクトによってまとめられたキー・コンピテンシーをふまえている。
 こうしたコンピテンシーとしての課題解決力を身につけるためには経験を必要とする。実際に解決策を自ら試行し、トライアルアンドエラーで計画を修正しながら、課題解決を目指す経験を積むことが大事になってくる。会議室で解決策をプレゼンするだけでなく、現場でのコミットメントが求められるのである。
 だが、現場に浸り、その中で課題発見・課題解決を達成する経験を積むには時間が必要である。半期15回の授業でそのような実行力を身につけることは可能だろうか。ここでも複数のPBL科目が連動するようなカリキュラム設計が求められるのである


課題解決力と当事者意識
 社会で求められる課題解決力とは、上に述べた二つの異なった位相の課題解決力の掛け算と考えられる。だからこそ、現在の大学では、教室内で知識習得を伴う課題解決力の育成と、PBLやインターンシップなどで実際に他者とともに課題解決に携わる経験の両方が要請されているのである。
 そして、両者を結びつけるうえで不可欠なのは「当事者意識」ではないかと筆者は考える。
 リテラシーとしての課題解決策は、しばしば当事者意識を欠いた評論家的なものになってしまうことが多い。自らが実行するつもりのないビジネスプランや、それができれば苦労はしないという地域活性化プランなどが提案できたとして、それは大学教育の成果としてふさわしいだろうか。そこで学んだ力は企業などの産業界が大学生に期待している能力といえるだろうか。
 多くの企業で、特に新人社員にとって重要なのは、目の前の課題に対して、現場で他者と協働しながら、粘り強く解決に取組む実行力であろう。その意味で、専門科目や卒論執筆等を通じてリテラシーとしての課題解決力を育成できたとしても、コンピテンシーとして課題解決力が補完的に育成されている必要がある、というのが産業界からの要請であるように思われる。
 さらに言えば、両者のスキルを技術的に身につけるだけでは十分ではない。むしろ大切なことは、自分にとってその課題に取り組む意義は何なのか、どのような立場から解決策を考えるのか、といった自身の視点や自分の立ち位置を明確にするといった態度・姿勢ではなかろうか。
 たとえば、「大学生らしい地方創生プラン」を提案するとは、まずは「自分にとって地方はどういう意味があるのか」とか、「自分自身は地方でどういう生き方をしたいのか」といった自分自身の考えや価値観を問いなおし、自分の立ち位置をはっきりさせることから始まると筆者は考える。それが聞き手を共感させ、他者を巻き込む解決策の立案につながるばかりか、地に足の着いた現実的な課題解決策の提案につながると思うからである。


当事者意識と現代の教養
 私が学部時代の教養ゼミに参加して学んだヨーロッパ中世社会史家の故阿部謹也教授は、研究対象と自己の立場や価値観を切り離すことを強く戒め、「それがなくては生きていけないという研究テーマを探すように」と常に語っていた。社会や組織の課題解決に取り組む際も、課題を自己の問題意識と結びつけ、当事者意識を持ちながら解決策を考えることは同じ意味で大切だと筆者は考える。それこそが現在の大学において分裂しがちな専門教育とキャリア教育を接続するための実学的思考であり、別の視点からみるとそれは“現代の教養”と言ってよいようにも思えるのである。
 ひるがえって考えると、現在の日本の大学が抱える課題に対して、大学人である我々は傍観者的な立場から、実現可能性とは無縁の解決策を披露するだけで満足してはいないだろうか。学生に先立って、我々自身が課題を自分事として捉え、実際にそれぞれの現場で課題解決に取り組む“実行力”を発揮することが求められているのではないだろうか。