マージナル大学誕生の背景

今回は背景説明のみです。多くの人が知っていることですが、今一度振り返ってみます。

前回、大学進学率が日本の経済構造の変動の中で高まっていったと述べましたが、他方で、大学も大幅に増えました。現在、大学数は782校もありますが、1990年は600校ぐらいでした。なぜ、短期間でこんなに増えたのでしょうか。また、大学が増加したことによって何が変わったのでしょうか?

大学進学率が上昇する契機となったのは、大学関係者であればだれでも知っている「大綱化(大学設置基準の大綱化)」です。先進諸国で知識基盤社会が進展し、既存の知識の耐用年数がどんどん短くなることが予想されるなかで、文科省は早くから大学進学率の上昇をみこして、規制緩和を進めました。

それまで、文科省はガチガチの規制を大学にかけていました。例えば、大学の敷地面積、教室数、科目名称や教員数、学生の定員、研究室の広さなど、全てにわたってがっちりと規制がかけられていました。他方、大学がそれを守っていれば、ほぼ自動的に補助金がもらえていたのです。

そこまでガチガチの規制がかけられていた背景の一つには、団塊の世代が大学生だった時代に、私学のマスプロ教育に対する社会的批判がありました。教室のキャパを超えて大量の学生を入学させ、大教室での一方的授業のみを行い、大学が教育に対して冷淡であったという批判が、学生運動と結びつき、社会的な問題となったのです。そういう金儲け至上主義の私学に対して当時の文部省が規制を強化したということも一因です。

さて、1991年以降の大綱化に伴う規制緩和によって、大学はそれ以前とは比べ物にならないほど自由に学部を新設することが可能になりました。

当時は、進学率25%前後でしたが、18歳人口がピークを迎え、大学は相当な競争をくぐり抜けないと入れないところでした。大量の浪人生がいた時代です。学部を新設すれば、山のように受験生が集まってくることが予想されていました。そんな折、文部省は各大学に臨時定員増加を認めたのです。すぐさま、多くの大学で定員が増加されていきます。定員数によって補助金が出るわけですから、各大学共に定員をどんどん増やしていきます。

当時はやったキャンパス移転は、定員増加に伴い学生の収容キャパを増やすためでした。多くの大学が郊外にキャンパスを移転していったのです。大学は多かれ少なかれ、バブル景気の間に受験料等で稼いだ豊富な資金を貯めこんでいましたから、キャンパス移転ぐらいなんてことはありませんでした。

また、カリキュラムもほぼ自由化されました。当時は多くの大学で、全学共通の教養部が大きな勢力を誇っていました。カリキュラムの自由化が可能になったことにより、多くの大学は教養部を廃止しました。今になって、しばしば大学関係者が「大綱化によって文部省が教養部を潰した」ということがありますが、それは間違っています。教養部を潰したのは大学自身の学内政治的な理由なのです。

さて、このような規制緩和はその10年後に小泉純一郎政権時代に一層加速します。大学・学部の新設の審査が緩和され、届け出のみで学部を大きく変えることもできるようになりました。こうして、(短大の四年生移行も含め)90年代以降、180以上もの大学が新設されていきました。

ところが、大学増加のスピードは、大学進学率よりはるかに早かったのです。2000年をこえた所で、少子化のトレンドが始まり、18歳人口が減少し始めます。すぐさま大学間の競争が激化しました。多くの大学は入学者確保に走り出します。定員割れの大学が出現します。

大学の生き残り競争のその一つの手段として使われたのが「推薦入試」と「AO入試」です。これらの入試の本来の趣旨はどこへやら、多くの大学は青田買いの手段のために、受験生を早くから確保するようになりました。AO入試などは、早い大学だと5月か6月に始まります。高校3年が始まってすぐに大学へのチケットを手にできるようになったのでした。

今でも多くの私学は、かなりの割合の受験生を推薦入試で確保しています。たとえばあの早稲田大学政治経済学部は、一般入試で550名入学させていますが、指定校推薦で120名、AO入試で50名を入学させています。競争力の低い大学になればなるほど推薦入試・AO入試の割合は高まります。入試の内容も、面接のみという無試験状態になります。このようにして、中・下位大学では入学者の半数程度を推薦・AO入試で確保しているのが当たり前です。

また、2000年代になって大きく役割が変わったのがスポーツと留学生です。大学がスポーツに力を入れるのは、宣伝効果を期待してのことです。しかし、もはやスポーツで知名度が上がったくらいで、一般の受験生が集まる時代ではありません。それにもかかわらず、多くの大学はスポーツに力を入れています。その理由は、スポーツ推薦で受験生を確保するためです。たとえば、野球部一つとっても、毎年50人ぐらいを入学させることができます。200人以上部員がいる野球部はざらにあります。知名度を上げて、一般の学生ではなくスポーツの学生をとるのです。そのための学費減免などの措置も多くの大学で実施されています。

また、留学生も同様です。多くの大学で、留学生は、大学の国際化、グローバル化といった目的というよりは、入学生増加のために推進されました。留学生に対する教育的措置を経費節減で廃止しながらも、留学生確保に走った大学も多いのです。東京にキャンパスを新設し、留学生だけを詰め込んだ大学もあるくらいです。

こうして各大学は、自らがとってきた拡大路線のために、生き残りをかけて、熾烈な競争を始めざるをえなくなりました。高校で2年間しか勉強していないのに、入学者確保のために、早々と青田買いする。最近でこそ、大学や高校でこうした動きが見直されてきましたが、その弊害はとてつもなく大きかったのです。