A大学のA君はなぜ大学を退学したのか

大学の退学者問題は、その延長線上に就職問題ともつながってくるわけですが、なかなか大学関係者以外には理解し難い問題かもしれません。なにせ、肝心の大学関係者で、退学者問題・就職問題をきちんと理解している人が少ないのが現状です。


そこで、かんたんなシミュレーションをしてみましょう。ここに標準的な地方都市にある私大文系のA大学があったとします。A大学は上位でも下位でもないごくごく典型的な大学です。

A大学の1学年あたりの定員は500名です。おそらく2学部程度の非常に小規模な大学です。この大学の退学率は、私大文系の平均的より少し良い3.0%としましょう。すると左の図のように、毎年、この学年からだいたい15人ずつ退学していきます。4年の4月には1割以上減っています。さらに、留年が(少なく見積もって)1割出るとして、卒業時には400名以下に減っています。つまり入学者のうち4年で順調に卒業するのは8割だということになります。

以上は、データから分かることですが、ここで退学の典型的な状況を考えてみることにしましょう。もちろん実際の退学原因は人によってバラバラですが、大雑把に言うと、大学での目標喪失が多いと言われることがあります。

それでは、学生の目標喪失とは、どういう風に起きるのでしょうか? たとえばA君という大学2年の9月で退学した学生の様子を見てみましょう。これはフィクションですが、よくある事例といえます。A大学は、退学率もさほど高くない大学ですが、もっと退学率の高い大学だと、こういったケースは非常に目立つようになります。

A君は地元の商業高校からからA大学の経済学部に進学しました。親は共働きの自営業ですが、不況が続き家計は大変苦しいです。大学に行く余裕はなかったのですが、商業高校を卒業しただけでは、今の時代には就職先はないのです。担任の先生は「A君は成績もいいから、どうせ進学するのなら大学がいいよ」とアドバイスしてくれ、奨学金制度があるから大丈夫とも言われました。こうして、A君は地元の県立商業高校から推薦入試で地元の大学に進学しました。国公立はちょっと無理だったので、地元の中堅の私大に進学したのです。

大学に入るとすぐに授業に失望しました。特に年配の先生たちの授業は何を言ってるか全くわからないのです。ミクロ経済学という授業では先生が延々と数式やグラフを黒板に書いています。しかし、しゃべってる内容もその単語も全くわかりません。周りに聞くと、誰一人分かっていないとのことなので、少し安心しました。この授業はもう出ないことに決めました。

入門ゼミの担当の先生は若い人でしたが、ゼミでは、グループ・ディスカッションが中心です。毎回違う新聞記事を読ませられて、グループで話し合いをさせられます。でも、「少子化の解消」などについて話し合わされても、そのことについて何も知らないので、配布された記事に書かれていること以外は何一つしゃべることができません。他のメンバーも同様です。すると、先生の長々とした独演会が始まります。

入学直後からA君は苦しい家計を助けるために、ある飲食店でアルバイトを始めました。アルバイトはほどほどにと思っていたのですが、仕事を始めると、店長からしょっちゅう褒められるのです。「A君はよくいろんなことに気付くよな。今まで言われたことなかった?」など、今まであまり目上の人から褒めてもらった経験がないA君はアルバイトをやってとてもよかったとつくづく思ったのです。

アルバイトを始めて3ヶ月。他のアルバイトのメンバーが一人辞めました。店長からは週に3日以上、深夜のシフトを入れてくれるよう頼まれました。自分のことを認めてくれた店長のためです。大学との両立は大変になりそうだと思いましたが、引き受けることにしました。

アルバイトが終わるのは午前6時です。大学の授業は10時半からなので、10時に家を出れば間に合います。6時半に家について3時間だけ仮眠をしようとしました。最初の1日目はうまくいきましたが、2日目からは寝過ごしてしまい、気づいたら午後2時です。そんなことが続いてしまい、大学から少し足が遠のいてしまいました。

7月になると試験期間です。同じアルバイトの別の大学の学生は、試験期間の日程をいち早く調べてきて、早めのシフトを申し出ていました。A君は大学の掲示板をよくみていなかったため、試験期間を把握しておらず、結局、他のアルバイトの肩代わりのため、試験期間中もアルバイトに出ることになってしまいました。

結局、試験はボロボロです。アルバイトで試験を受けられなかった授業も結構ありました。しかし、夏休みとなったため、そんなことはすっかり忘れて、楽しい夏休みを過ごしました。

夏休み後、成績が返ってきました。なんと3単位です。ゼミの先生の呼びだされました。「こんなことではダメだよ、ちゃんと大学に来なきゃ」とお説教です。「はい、わかりました、反省してがんばります」と殊勝に答えたら、先生は満足したようでした。

しかしアルバイトはやめるわけにはいきません。奨学金も借りているのですが、奨学金は学費に回ってしまい、日々の生活費はやはりアルバイトで稼がないといけないのです。しかもアルバイト先は結構居心地がよく、人間関係も広がっていっています。

秋学期が始まりましたが、A君は春学期より輪をかけてアルバイトに没頭しました。店長からの信頼もますます厚くなっていっています。

他方、A君は大学に失望しています。高校だと授業で学んでることが何のためにやってるのかがだいたい分かっていました。しかし、大学では、何のためにそんなくだらないディスカッションをしたりしているのか、全くわかりません。少子化の解消なんて考えるだけ無駄だと感じました。

先生もいい人だとは思うのだけれど、学生がゼミ中に寝ていても全く注意しません。みんなが寝ていても、「大学は自由なところだから、寝るのも自由、勉強も自由。だけど授業中に寝るくらいならゼミに来なくていいよ」と言うだけなのです。ゼミの欠席者はどんどん増えていきました。A君もゼミぐらいはと思っていましたが、秋学期途中から行かないことが増えてきました。

こうして秋学期の試験も同じことの繰り返しです。なんと年間を通じて7単位しかとれていません。成績不振者面談に親と一緒に呼び出され、先生から「大丈夫? もうちょっとアルバイトの時間を減らして、勉強を頑張らないといけないね」と言われました。親はずいぶん怒っていましたが、2年生から必ず頑張るから、と言ったら納得してくれました。

2年生の始まりです。アルバイトも後輩が入ってきて指導にもやりがいを感じます。最近はスーパーバイザーからも顔を覚えられて、「大学が面白くなかったら、辞めてウチで社員として働くといいよ」なんて声をかけられたりもします。

大学の勉強も面白くないし、高校の同級生の話を聞くと、大学を辞めたというのも意外とたくさんいます。アルバイト一本に絞って、お金をためて今までの奨学金を返して、そして、今の職場で社員として働いてもいいなあと、最近は思うようになりました。このまま奨学金を借り続け、巨額の借金を背負うよりも、そのほうが堅実な気もします。

こうしてA君は、両親に相談し、大学を辞めることにしたのです。大学では退学前にゼミの先生と面談をしました。先生は、大学を辞めるリスクについてずいぶん説明してくれましたが、A君自身は大学を続けるリスクのほうが高いと思ったので、「いえ、もう決めたことですので」といって、「進路変更」という項目にマルをして、退学願を提出したのです。

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ところで、A君の退学はなにが原因なのでしょう? 家庭の経済力の問題なのか、高卒職がないという日本経済の構造的問題なのか。本人がアルバイトに没頭してしまったという自己責任か、アルバイトに依存している外食産業の問題なのか。大学のカリキュラムが悪いのか、パーソナル支援が足りなかったのか、本人とのミスマッチの問題なのか。

退学者問題というのは、多面的に考えるとなかなか難しいのが実態です。ただ、大学側にいる人間としては、「教育改善によって退学者問題を解決する」という考え方をとる以外の選択肢はありえません。私は多くの学生がこういったプロセスを経て退学に至ってしまう現在の大学の教育状況が問題だと思っています。私は、学生をこういう状況に追い込んでしまうような現在の大学の状況を変えなければと思っています。