大学でbe動詞を教える授業のレベルは低いのか?

大学でbe動詞教える授業、文科省が改善要求 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

こういう大学の授業のレベルの問題は時々話題になります。僕自身、以前も、twitterでとある大学のシラバスの件で議論になり、「あのシラバスの意味するもの」というまとめを作っていただいたこともあります。

いわゆる初等・中等レベルの内容が大学の授業で行われていることについて、あらためて考えてみたいと思います。こういう問題は、わりと議論が沸騰しがちなので、今回は話を整理したいと思います。

まず、大前提として、50%をこえる進学率と、推薦入試等による大学の青田買いの結果、低学力学生が大学に入学しているのは事実です。それは、大学の責任でもありますが、そういう学生が大学教育を必要としている、もっと言えば、大学進学以外の選択肢がない、というのも、これまた日本の現実なのです。別の角度から見れば、かつてだと大学進学をしなかった層の学力問題が、大学進学によってはじめてあぶりだされたともいえます。大学側には、低学力であろうが関係なく入学させている問題がある一方で、いくら低学力であろうが関係なく卒業させている高校側の問題でもあるのです。

たとえば、句読点の使い方がわからない大学1年生は実際に一定数います。「テンとマルの打ち方わかる?」と尋ねて、いままで最も考えさせられた回答は、「『は』のあとはテンで『だ』のあとはマルだ、と思う」というものです。

この学生は、小学校の早い段階で、先生からそう教わってしまったのです。そのために句読点の打ち方がわからなくなったのでしょう。それは十分にあり得る話です。実際にそういう教え方をする先生がいないわけではないのです。

しかし、より深刻な問題は、その後、高校を卒業するまでに出会った教師が誰一人として、彼が句読点について誤解していることについて気付くことなく、矯正することもなかったということでなのです。それを初めて気づいたのが大学の教員だったのです。

こうした学生の多くはいわゆる「学習障害」ではありません。初等教育の早いレベルで誤解をしてしまい、その誤解が解けてないだけです。実際、学生の多くは、文章の書き方の基本を一度教えたら、すぐに直ります。マルとテンがおかしかった学生が、1年後に立派なレポートを書いてる例は身近に山ほどあります。

したがって、現実から見れば、たとえば文章の書き方であれば、大学で、マルとテンの打ち方、原稿用紙の使い方、段落分けの原則などの基本をイチから教えることは、必要なことです。文章の書き方について変な誤解をしている学生はたくさんいます。

そういう高校までの知識を再習得させる授業のことは「リメディアル」と言われます。実際に、多くの大学でリメディアル授業が行われています。ただし、本来、リメディアル授業では単位を出すことは認められていません。リメディアル授業に単位を出している大学は、これまた別の問題です。

話を戻すと、多くの大学で、リメディアル的な授業から始めることは、現実的には必要なことです。目の前の学生をみれば、そういう授業からはじめなければいけないのです。ただ、問題は、多くの授業の場合、そのレベルで終わってしまっていることなのです。

文章表現科目であれば、リメディアルからはじまり、大学で求められる文章力まで一気に学力を引き上げる授業でなくてはいけません。英語であれば、be動詞からはじまって、動詞と格の関係について理解させ、そこから大学生として必要な英文読解、英作文能力を付けさせる授業でなければいけません。

そんなことは無理だろうって? いや、18歳から22歳の発達可能性の大きさときたら、とてつもないものがあります。学生の成長能力の高さに、僕はいつも驚嘆しています。学生の現状レベルではなく、成長レベルに合わせれば、それくらいの授業は十分できるはずなのです。

いや、もっと言えば、大学の教員であればなおさらできるはずなのです。なにせその分野の専門家なんですから。中・高の先生が知らないその分野の本質的な知識を持っているわけですから、今まで英語について何も理解できなかった新入生が「そうか、そういうことか。そんなことは今まで教わってなかった」と目を見開くくらいの授業が出来るはずなのです。

したがって、繰り返しますが、問題は、大学の授業で初等・中等レベルの内容を行っていることではありません。あるいは、そういう授業内容を必要とする低学力学生がたくさんいることが問題なのではありません。問題は、授業がそのレベルで終わってしまう大学教員の力量にあるのです。

抽象論でこういうことを言っているのではありません。実際に我々は、文章表現科目であれば、初等・中等レベルから授業をはじめ、1年の終わりには、立派な課題解決型文章を書かせる授業を展開しています。そういうことに取り組んでいる大学教員は、実際に日本でたくさんいるのです。

新聞記事になっている件の大学は、もしbe動詞を教える程度で終わっていない授業をやっているのであれば、真剣に反論すべきでしょう。

他方、どうしようもない授業しかしていない大学教員がいるのもこれまた事実です。be動詞からはじめて、中学の文法の授業のような、人をバカにした授業しかやっていない教員がいることは、想像に固くありません。そういう教員は、完全に学生をバカにしています。「ウチの学生だったらこれくらいしかできない」と開き直るのです。

そうではありません。そういう授業しかできないその教員のレベルが低い、のです。

あるいは、そういう授業を放置している大学の問題です。大学全体の教育目標とその授業が関連づいていないのが問題なのです。そういう授業のシラバスは見れば一目瞭然です。大学としてすべての授業の方向性や枠組みを設定していないから、アホ教員が目もアテられない授業をやってしまい、しかもそれを放置しているのです。

文科省は、どちらの授業のことを指摘したのでしょうね? 言わずもがなだと思いますが。