マージナル大学誕生の背景

今回は背景説明のみです。多くの人が知っていることですが、今一度振り返ってみます。

前回、大学進学率が日本の経済構造の変動の中で高まっていったと述べましたが、他方で、大学も大幅に増えました。現在、大学数は782校もありますが、1990年は600校ぐらいでした。なぜ、短期間でこんなに増えたのでしょうか。また、大学が増加したことによって何が変わったのでしょうか?

大学進学率が上昇する契機となったのは、大学関係者であればだれでも知っている「大綱化(大学設置基準の大綱化)」です。先進諸国で知識基盤社会が進展し、既存の知識の耐用年数がどんどん短くなることが予想されるなかで、文科省は早くから大学進学率の上昇をみこして、規制緩和を進めました。

それまで、文科省はガチガチの規制を大学にかけていました。例えば、大学の敷地面積、教室数、科目名称や教員数、学生の定員、研究室の広さなど、全てにわたってがっちりと規制がかけられていました。他方、大学がそれを守っていれば、ほぼ自動的に補助金がもらえていたのです。

そこまでガチガチの規制がかけられていた背景の一つには、団塊の世代が大学生だった時代に、私学のマスプロ教育に対する社会的批判がありました。教室のキャパを超えて大量の学生を入学させ、大教室での一方的授業のみを行い、大学が教育に対して冷淡であったという批判が、学生運動と結びつき、社会的な問題となったのです。そういう金儲け至上主義の私学に対して当時の文部省が規制を強化したということも一因です。

さて、1991年以降の大綱化に伴う規制緩和によって、大学はそれ以前とは比べ物にならないほど自由に学部を新設することが可能になりました。

当時は、進学率25%前後でしたが、18歳人口がピークを迎え、大学は相当な競争をくぐり抜けないと入れないところでした。大量の浪人生がいた時代です。学部を新設すれば、山のように受験生が集まってくることが予想されていました。そんな折、文部省は各大学に臨時定員増加を認めたのです。すぐさま、多くの大学で定員が増加されていきます。定員数によって補助金が出るわけですから、各大学共に定員をどんどん増やしていきます。

当時はやったキャンパス移転は、定員増加に伴い学生の収容キャパを増やすためでした。多くの大学が郊外にキャンパスを移転していったのです。大学は多かれ少なかれ、バブル景気の間に受験料等で稼いだ豊富な資金を貯めこんでいましたから、キャンパス移転ぐらいなんてことはありませんでした。

また、カリキュラムもほぼ自由化されました。当時は多くの大学で、全学共通の教養部が大きな勢力を誇っていました。カリキュラムの自由化が可能になったことにより、多くの大学は教養部を廃止しました。今になって、しばしば大学関係者が「大綱化によって文部省が教養部を潰した」ということがありますが、それは間違っています。教養部を潰したのは大学自身の学内政治的な理由なのです。

さて、このような規制緩和はその10年後に小泉純一郎政権時代に一層加速します。大学・学部の新設の審査が緩和され、届け出のみで学部を大きく変えることもできるようになりました。こうして、(短大の四年生移行も含め)90年代以降、180以上もの大学が新設されていきました。

ところが、大学増加のスピードは、大学進学率よりはるかに早かったのです。2000年をこえた所で、少子化のトレンドが始まり、18歳人口が減少し始めます。すぐさま大学間の競争が激化しました。多くの大学は入学者確保に走り出します。定員割れの大学が出現します。

大学の生き残り競争のその一つの手段として使われたのが「推薦入試」と「AO入試」です。これらの入試の本来の趣旨はどこへやら、多くの大学は青田買いの手段のために、受験生を早くから確保するようになりました。AO入試などは、早い大学だと5月か6月に始まります。高校3年が始まってすぐに大学へのチケットを手にできるようになったのでした。

今でも多くの私学は、かなりの割合の受験生を推薦入試で確保しています。たとえばあの早稲田大学政治経済学部は、一般入試で550名入学させていますが、指定校推薦で120名、AO入試で50名を入学させています。競争力の低い大学になればなるほど推薦入試・AO入試の割合は高まります。入試の内容も、面接のみという無試験状態になります。このようにして、中・下位大学では入学者の半数程度を推薦・AO入試で確保しているのが当たり前です。

また、2000年代になって大きく役割が変わったのがスポーツと留学生です。大学がスポーツに力を入れるのは、宣伝効果を期待してのことです。しかし、もはやスポーツで知名度が上がったくらいで、一般の受験生が集まる時代ではありません。それにもかかわらず、多くの大学はスポーツに力を入れています。その理由は、スポーツ推薦で受験生を確保するためです。たとえば、野球部一つとっても、毎年50人ぐらいを入学させることができます。200人以上部員がいる野球部はざらにあります。知名度を上げて、一般の学生ではなくスポーツの学生をとるのです。そのための学費減免などの措置も多くの大学で実施されています。

また、留学生も同様です。多くの大学で、留学生は、大学の国際化、グローバル化といった目的というよりは、入学生増加のために推進されました。留学生に対する教育的措置を経費節減で廃止しながらも、留学生確保に走った大学も多いのです。東京にキャンパスを新設し、留学生だけを詰め込んだ大学もあるくらいです。

こうして各大学は、自らがとってきた拡大路線のために、生き残りをかけて、熾烈な競争を始めざるをえなくなりました。高校で2年間しか勉強していないのに、入学者確保のために、早々と青田買いする。最近でこそ、大学や高校でこうした動きが見直されてきましたが、その弊害はとてつもなく大きかったのです。

大学退学率と就職率についてシミュレーションをしてみた

前回の記事で、退学問題を事例風に紹介しました。

実は、前回紹介した表には続きがあります。


1学年あたりの定員が500名のA大学では、退学率が3.0%です。すると、4年生の段階では443名となり、卒業時には(少なく見積もって)留年が1割出るとして398名になります。4年間で退学者は累計57名です。結局、入学者のほぼ8割(79.9%)が卒業することになります。逆に言えば、4年間で8割しか卒業できないともいえるでしょう。

さて、問題はここからです。

まず、A大学からは大学院進学者が、少し少ないかもしれませんが、5%いるとします。同じ大学の大学院や他大学の大学院に進学する人もいます。そうすると進学者は20名です。

残りは378名です。しかしこのうち全員が就職活動をするわけではありません。実は就職希望者は295名しかいません。実に2割以上の80名が就職を希望していないことになっているのです。その内訳としては、早々と就職活動を諦めてフリーターになることにした無気力組もいれば、人とのコミュニケーションが苦手なので、就活をせず、資格を狙ったり公務員を目指したりして、卒業後に専門学校に行こうとする(ある意味)勉強熱心な学生たちなど様々です。

こうして就職希望者295名のうち93%の275名は無事に就職できることになりました。キャリアセンターもサポートを一生懸命した成果が出たと喜んでいます。この数字は、大学としても宣伝で使いたいので、大学案内やホームページ等で公開することが多いようです。

しかし、実際は卒業者の398名のうち、実際に就職できているのは275名ですから、就職者数を卒業者数で割った「実質就職率」は68.9%なのです。大学院に進学する学生を加えた「進路決定率」は73.9%です。

結局のところ、卒業者の7割程度しか進路が決まっていません。さらに言えば、入学者の500名のうち4年間で卒業して無事に就職ができたのは55%を切るのです。

この数字をどう思いますか? こんな結果しか出ていない大学はレベルの低い大学だと思いますか?

実は、この数字は決して悪い数字ではありません。これが日本の私大の平均的なデータなのです。表の人数をすべて1000倍すると、日本の私大全体の平均的な数字になるのです。

つまり、「日本の私大生が500人だったとしたら、4年間で55人が退学し、45名が留年し、卒業するのは400名。そのうち300名が就職を希望し、うち275名が就職できる。残りの125名のうち100名は就職せずに卒業する」という感じなのです。ここからは、日本の大学が、「だれでも入れてだれでも卒業できる」という一般的に言われている状況とは程遠いことがわかります。

◯参考
http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_tyosa-koyou-graduate-course
http://www.obunsha.co.jp/news_release/269.html


次に、退学率がかなり高いB大学を登場させることにしましょう。


B大学は退学率が6%と結構高いです(もちろんもっと高い大学はいくらでもあります)。この大学だと、卒業する頃には学生が7割に減っています。さらに就職希望者も結構低くて65%ぐらいだとしましょう。そうなると、仮に就職率がA大学と同じ93%だとしても、卒業者のうち実質的に就職するのは6割以下なのです。さらに、入学時から考えると、4年間で卒業して就職できるのは4割しかいないことになります。

これは結構ヒドイ大学だと思われることでしょう。しかし、こういう状況は、わりと知名度の高い人気のある大学でも、起きていることがあるのです。結局、日本では、大学に入学してもそのうちの7割から8割しか4年間で卒業できていません。また、大学に入学した学生のうち、4年間で就職できるのは4割〜6割ぐらいです。

この状況は、どのように考えればよいでしょうか? 学生本人の自己責任の問題なのか、大学の教育力の問題なのか。解決のためには、卒業要件を厳しくすればよいのか、そもそも入学者を絞ったほうが良いのか。

僕は、大学を退学しても社会の中で行き場があるのであれば、大学は卒業要件をもっと厳しくしてもよいと思います。しかし、日本の現状では、大学を中退したら、行き場はほとんどありません。一生非正規社員として生きていく可能性がすごく高まるのです。

また、入学者を絞ったらどうなるか。高卒で行き場のない人たちが社会に溢れます。日本の産業構造がグローバル化によって根本的に転換したせいで、昔のような高卒職が日本から消え失せてしまいました。そういう層を現在は大学が吸収しているわけです。

日本の現状がこういう状況にあるのであれば、大学は、多様な学生を退学させることなくきちんと育て、4年間で社会に送り出すという社会的使命をもっと積極的に意識すべきではないでしょうか。

この「4年間での卒業」と「実質的な就職状況」を左右する大きな要因は「退学率」と「就職希望率」です。しかし、この2つの数字を公開している大学はほとんどありません。

もちろん、大学のホームページでは、「入学者数」「各学年の在籍者数」「卒業者数」「就職者数」は公開が義務付けられていますので、ここから推測することは可能です(毎年一定の数が留年し、一定の数の留年生が卒業すると仮定すれば、「退学率」と「就職希望率」は計算可能です)。

したがって、「退学率」の調査を文科省がするのはよいのですが、もっと重要なのは、これらのデータをきちんと各大学が把握し(いわゆるIRを行い)、経営指標の一つとして位置づけるとともに、その数字の裏側にどういう現実や課題があるのかをきちんと調査し、その課題を組織的な教育改善によって解決する方法を考え、実効することなのです。

退学率や就職希望率を公表するかどうかは別として、各大学がそういったデータをもとに教育改善を行っているかどうかについては、文科省はもっときちんとした調査をしてもよいのではないでしょうか? 教員によるパーソナル支援、スクールカウンセラーによるカウンセリング、キャリアセンターによる就職サポートなどは行われていますが、それで解決できるほど問題は甘くありません。本当に大事なのは、カリキュラム改革であり、教育改善なのです。

それが、「退学者問題」の本質ではないでしょうか。

A大学のA君はなぜ大学を退学したのか

大学の退学者問題は、その延長線上に就職問題ともつながってくるわけですが、なかなか大学関係者以外には理解し難い問題かもしれません。なにせ、肝心の大学関係者で、退学者問題・就職問題をきちんと理解している人が少ないのが現状です。


そこで、かんたんなシミュレーションをしてみましょう。ここに標準的な地方都市にある私大文系のA大学があったとします。A大学は上位でも下位でもないごくごく典型的な大学です。

A大学の1学年あたりの定員は500名です。おそらく2学部程度の非常に小規模な大学です。この大学の退学率は、私大文系の平均的より少し良い3.0%としましょう。すると左の図のように、毎年、この学年からだいたい15人ずつ退学していきます。4年の4月には1割以上減っています。さらに、留年が(少なく見積もって)1割出るとして、卒業時には400名以下に減っています。つまり入学者のうち4年で順調に卒業するのは8割だということになります。

以上は、データから分かることですが、ここで退学の典型的な状況を考えてみることにしましょう。もちろん実際の退学原因は人によってバラバラですが、大雑把に言うと、大学での目標喪失が多いと言われることがあります。

それでは、学生の目標喪失とは、どういう風に起きるのでしょうか? たとえばA君という大学2年の9月で退学した学生の様子を見てみましょう。これはフィクションですが、よくある事例といえます。A大学は、退学率もさほど高くない大学ですが、もっと退学率の高い大学だと、こういったケースは非常に目立つようになります。

A君は地元の商業高校からからA大学の経済学部に進学しました。親は共働きの自営業ですが、不況が続き家計は大変苦しいです。大学に行く余裕はなかったのですが、商業高校を卒業しただけでは、今の時代には就職先はないのです。担任の先生は「A君は成績もいいから、どうせ進学するのなら大学がいいよ」とアドバイスしてくれ、奨学金制度があるから大丈夫とも言われました。こうして、A君は地元の県立商業高校から推薦入試で地元の大学に進学しました。国公立はちょっと無理だったので、地元の中堅の私大に進学したのです。

大学に入るとすぐに授業に失望しました。特に年配の先生たちの授業は何を言ってるか全くわからないのです。ミクロ経済学という授業では先生が延々と数式やグラフを黒板に書いています。しかし、しゃべってる内容もその単語も全くわかりません。周りに聞くと、誰一人分かっていないとのことなので、少し安心しました。この授業はもう出ないことに決めました。

入門ゼミの担当の先生は若い人でしたが、ゼミでは、グループ・ディスカッションが中心です。毎回違う新聞記事を読ませられて、グループで話し合いをさせられます。でも、「少子化の解消」などについて話し合わされても、そのことについて何も知らないので、配布された記事に書かれていること以外は何一つしゃべることができません。他のメンバーも同様です。すると、先生の長々とした独演会が始まります。

入学直後からA君は苦しい家計を助けるために、ある飲食店でアルバイトを始めました。アルバイトはほどほどにと思っていたのですが、仕事を始めると、店長からしょっちゅう褒められるのです。「A君はよくいろんなことに気付くよな。今まで言われたことなかった?」など、今まであまり目上の人から褒めてもらった経験がないA君はアルバイトをやってとてもよかったとつくづく思ったのです。

アルバイトを始めて3ヶ月。他のアルバイトのメンバーが一人辞めました。店長からは週に3日以上、深夜のシフトを入れてくれるよう頼まれました。自分のことを認めてくれた店長のためです。大学との両立は大変になりそうだと思いましたが、引き受けることにしました。

アルバイトが終わるのは午前6時です。大学の授業は10時半からなので、10時に家を出れば間に合います。6時半に家について3時間だけ仮眠をしようとしました。最初の1日目はうまくいきましたが、2日目からは寝過ごしてしまい、気づいたら午後2時です。そんなことが続いてしまい、大学から少し足が遠のいてしまいました。

7月になると試験期間です。同じアルバイトの別の大学の学生は、試験期間の日程をいち早く調べてきて、早めのシフトを申し出ていました。A君は大学の掲示板をよくみていなかったため、試験期間を把握しておらず、結局、他のアルバイトの肩代わりのため、試験期間中もアルバイトに出ることになってしまいました。

結局、試験はボロボロです。アルバイトで試験を受けられなかった授業も結構ありました。しかし、夏休みとなったため、そんなことはすっかり忘れて、楽しい夏休みを過ごしました。

夏休み後、成績が返ってきました。なんと3単位です。ゼミの先生の呼びだされました。「こんなことではダメだよ、ちゃんと大学に来なきゃ」とお説教です。「はい、わかりました、反省してがんばります」と殊勝に答えたら、先生は満足したようでした。

しかしアルバイトはやめるわけにはいきません。奨学金も借りているのですが、奨学金は学費に回ってしまい、日々の生活費はやはりアルバイトで稼がないといけないのです。しかもアルバイト先は結構居心地がよく、人間関係も広がっていっています。

秋学期が始まりましたが、A君は春学期より輪をかけてアルバイトに没頭しました。店長からの信頼もますます厚くなっていっています。

他方、A君は大学に失望しています。高校だと授業で学んでることが何のためにやってるのかがだいたい分かっていました。しかし、大学では、何のためにそんなくだらないディスカッションをしたりしているのか、全くわかりません。少子化の解消なんて考えるだけ無駄だと感じました。

先生もいい人だとは思うのだけれど、学生がゼミ中に寝ていても全く注意しません。みんなが寝ていても、「大学は自由なところだから、寝るのも自由、勉強も自由。だけど授業中に寝るくらいならゼミに来なくていいよ」と言うだけなのです。ゼミの欠席者はどんどん増えていきました。A君もゼミぐらいはと思っていましたが、秋学期途中から行かないことが増えてきました。

こうして秋学期の試験も同じことの繰り返しです。なんと年間を通じて7単位しかとれていません。成績不振者面談に親と一緒に呼び出され、先生から「大丈夫? もうちょっとアルバイトの時間を減らして、勉強を頑張らないといけないね」と言われました。親はずいぶん怒っていましたが、2年生から必ず頑張るから、と言ったら納得してくれました。

2年生の始まりです。アルバイトも後輩が入ってきて指導にもやりがいを感じます。最近はスーパーバイザーからも顔を覚えられて、「大学が面白くなかったら、辞めてウチで社員として働くといいよ」なんて声をかけられたりもします。

大学の勉強も面白くないし、高校の同級生の話を聞くと、大学を辞めたというのも意外とたくさんいます。アルバイト一本に絞って、お金をためて今までの奨学金を返して、そして、今の職場で社員として働いてもいいなあと、最近は思うようになりました。このまま奨学金を借り続け、巨額の借金を背負うよりも、そのほうが堅実な気もします。

こうしてA君は、両親に相談し、大学を辞めることにしたのです。大学では退学前にゼミの先生と面談をしました。先生は、大学を辞めるリスクについてずいぶん説明してくれましたが、A君自身は大学を続けるリスクのほうが高いと思ったので、「いえ、もう決めたことですので」といって、「進路変更」という項目にマルをして、退学願を提出したのです。

                                      • -

ところで、A君の退学はなにが原因なのでしょう? 家庭の経済力の問題なのか、高卒職がないという日本経済の構造的問題なのか。本人がアルバイトに没頭してしまったという自己責任か、アルバイトに依存している外食産業の問題なのか。大学のカリキュラムが悪いのか、パーソナル支援が足りなかったのか、本人とのミスマッチの問題なのか。

退学者問題というのは、多面的に考えるとなかなか難しいのが実態です。ただ、大学側にいる人間としては、「教育改善によって退学者問題を解決する」という考え方をとる以外の選択肢はありえません。私は多くの学生がこういったプロセスを経て退学に至ってしまう現在の大学の教育状況が問題だと思っています。私は、学生をこういう状況に追い込んでしまうような現在の大学の状況を変えなければと思っています。

大学の退学率の意味とは

大学中退:文科省が全国調査へ 年6万人以上、防止策検討(毎日新聞 2014年01月31日) というニュースが話題になっています。

よく大学の就職率が話題になりますが、大学関係者にとっては、実は「退学率」こそが深刻な課題として受け止められていることが多いことでしょう。中堅以下の多くの大学では、2000年前後から退学率が上昇したという経験をしているはずです。進学率40%を超え、これまで大学が想定していたよりもさらに多様な学生が入学するようになり、大きなミスマッチが顕在化した時期です。初年次教育という考え方もほとんどなく、多くの大学は、退学問題に手をこまねいていたのではないかと思います。

すぐに、退学問題は大学経営的な視点から問題だと考えられるようになりました。それはそうです。たとえば毎年3%の学生が退学していけば(これは現在の平均的な私大の状況です)、4年間で1割以上の学生が消えていくことになります。深刻な退学問題を抱えている大学だと6%の退学率くらいはあるはずです。そうなると4年間で2割以上の学生が退学していくのです。これは財務状況を確実に悪化させます。

さらに、退学は財務リスクであるだけではありません。特に初年次の学生が退学した場合、多くは高校の進路指導の先生のところに、次の進路について相談に行くのです。その際、「あの大学は最悪だ。云々」ということを必ず言うはずです。だって、退学したのは、言うまでもなく大学に不満があったからです。それが積もり積もっていけば、いくら入学説明会で高校の先生に対して、「ウチは面倒見の良い大学です」といったところで、高校の先生は「何言ってんだ」と内心腹を立てて、「こんな大学には絶対にうちの学生を送らないようにしよう」と思うようになるはずです。つまり、退学問題とは、結局のところ「信用リスク」なのです。

というわけで、退学者対策に懸命な大学が増えてきています。私大の場合だと、法人主導で取組が行われる場合が多いでしょう。多くの場合、教員が「パーソナル支援」に乗り出すようになります。授業を欠席した学生に対して電話したり、面談したりといった具合です。

「教員と学生の信頼関係が作れたら学生は退学しない」とよく言われます。しかし、面談をすれば学生と教員の間に信頼関係が作れるのでしょうか? 信頼関係とはどういうことを言うのでしょう? 悩みを聞いてあげたら学生は退学しないのでしょうか? 面談制度、パーソナル支援を厚くすることで、退学率を「継続的」に下げることに成功した大学ははたしてあるでしょうか?

もちろん、教員は教育者ですから、最初のうちは、学生との面談を嫌がりはしないでしょう。仮に、こうしたことを嫌がる教員が多数の学部の場合、具体的な対策を取る以前の問題がそこにはあります。大学教員とは「教育者」であるという自覚が決定的に欠けている場合、何をやってもうまくはいきません。しかし、多数の教員に教育者としての自覚があったとしても、そのうち教員たちは無力感にうちひしがれるようになってきます。いくら面談をやっても退学者はほとんど減らないからです。そのうち手を抜き始めます。だんだん面談の回数が減ってきます。こうして元の木阿弥に戻るのです。

もちろん、教員と学生のパーソナルな関係を築くことはとても大事であることは言うまでもありません。しかしそれは、退学対策以前の問題です。日本中退防止研究所の山本繁さんは、「5%を超える退学率の大学で、パーソナル支援は退学問題を解決することはできない」と言っていました。僕も同感です。

僕は、以前、退学した学生の面談結果を分析したことがあります。多くの場合、退学理由はほとんどが「経済的理由」とか「進路変更」でした。そして、気になったのが、進路変更のうち専門学校がかなりの割合を占めていたことです。

なぜ、学生は大学を辞めた後、専門学校に行こうとするのでしょうか? それは、専門学校のほうが、勉強と将来の職業がつながっていると思っているからです。特に文系では、大学の勉強と将来の仕事のつながりは一見関係なさそうにしかみえません。上位大学では、例えば法学部の学生が銀行に就職することは当たり前です。他にも、法学部の学生は、メーカー、商社、不動産等々、幅広い業界に就職しています。しかし、そのロジックは明確ではありません。

結局、退学率の高い大学においては、「大学での勉強と将来の職業との関連性を十分説明できていない」ことが、学生のモチベーション低下をもたらし、それが退学問題の大きな要因になっているといえないでしょうか。学生が大学の勉強に意味を見出せないから、勉強と職業の関連性がより密接と思われる専門学校に進路変更するのではないでしょうか。

しかし、退学者がその後、専門学校で頑張って勉強したり、あるいは、就職してちゃんとやっていけているかというと、なかなかそういうわけにはいきません。上記の記事の中でも「大学中退者(専門学校含む)の就職状況は『一貫して非正規雇用』が約5割で最多。『無職』も14%あった」とあります。やはり、大学を退学することには大きなリスクがあるといえるのです。

だからこそ、やはり大学は退学者対策に真剣に取り組む必要があります。そして、退学者対策の一つの解決策とは、大学の目標人材の明確化であり、そのためのカリキュラムの意味付けの明確化であり、一つ一つの科目の「職業との関連性をもたせた」意味付けにあると言えます。つまりは、組織的な教育改革を推進することこそ、最大の退学者対策なのです。

一つ一つの授業において「この科目、この学問分野を勉強することが社会に出た時にどう生きてくるのか」ということを学生に説得力を持って説明できるかどうかと。それは、「学問と職業のレリバンス」について、学生が納得するロジックやストーリーを組み立てられるかどうかということです。

たとえば、「法律学を勉強することでなぜ銀行に就職できるようになるのか?」といった問いにどう答えればよいでしょう。あるいは「歴史学をいかに学べば、実社会で通用する能力と結びつくか」といった問いにどう答えるのでしょう。それは正解のある問いではありません。その分野の研究者たちが、常に自分自身に問い続けることから見いだせるものかもしれません。あるいは、その大学に蓄積されてきた知見として、学生に説明できることがあるかもしれません。


ともあれ、退学率の高い大学は、「教育改革こそが最大の退学者対策」という言葉を今一度真剣に考える必要があるのではないかと思うのです。


このテーマで続きます。

『教育学術新聞』11月13日(水)号「学部長向けの研修が必要 山本前学部長に聞く」より

『教育学術新聞』11月13日(水)号に掲載されました。「学部長向けの研修(FD)が必要」というタイトルで、「学部教育」全体をどのようにデザインするか、中間管理職たる学部長のスキルはいったいどうやって育成できるのか、という内容です。転載許可をいただいたので、ブログに掲載します。

                              • -

「学部長向けの研修が必要 山本前学部長に聞く」

 大学改革に欠かせないのが、トップの方針を具体的に現場に落とし込んでいく学部長の存在である。しかしながら、学部長が改革を進める際に必要なスキルは、自然と身に付くわけではない。学部長向けの研修が必要と主張するのは、弱冠38歳で法学部長に就任し、学部改革を取り仕切った九州国際大学前法学部長の山本啓一教授だ。
 国際政治学の博士号を取得した山本教授は2001年に同大学法学部に就任した。同僚教員は「うちの学生はダメだ」と口をそろえるが、就任直前のある出来事をきっかけに、山本教授の学生に対する見方は変わった。「学生に駅までの道を聞くと、とても親切に案内してくれました。良い学生たちじゃないかと。できが悪いと言われるけど、良さを見つけて自信をつけさせたいと思いました」。
 早速、ゼミにおいて課題解決型のPBLを導入。商店街の空き店舗を利用した地域活性化事業にも学生を巻き込み、また、学生たちも喜んで夢中になった。「法学部らしからぬ」こうした活動が当時の法学部長の目に止まった。2008年に法学部長が学長に選出され、その時に、学部長をやってくれ、と半ば強引に押し切られた。かくして、弱冠38歳という若さで学部長に大抜擢された。
 就任後にまず取りかかったのは、初年次教育改革だった。しかしながら、学部長として改革案に賛同したのは、3、4人。まずは自ら先頭を切って実践し、協力してくれる教員を徐々に増やしていった。反対しがちな年配教員がちょうど定年だったことも味方した。転機は、本学の使命とは勉強ができない学生を勉強ができるようにさせることだと気づかされた時のこと。「学生が、これまで読めなかった本が読めるようになったり、考えられなかったことが考えられるようになる、それが大学の付加価値ではないか」と投げかけた。多くの教員がハッとした。これまでは、「低学力な大学」ということで恥じて、プライドを持てていなかった。しかし、低学力大学ならではの使命があり、それは社会的に意義があることだ、と皆がその社会的役割を受け入れた。「法学者が腑に落ちるロジックを発見できたことがよかったのだと思います。学生を理解し、かつ、何故、こういう理想を追求するのかを説明することで味方を増やしていきました」。
 この出来事をきっかけに、教員は学生に学問の面白さを伝えることに腐心した。自主的に動き出す教員も現れ始めた。教務担当者は科目数をスリム化し、ティーティーチングを実践、半期に単位の科目を四単位にして一科目を厚く分厚くするカリキュラムを構想した。「現在のカリキュラム改革については、私はほとんど関わらず現場の教員が手掛けています」と述べる。
「学部長時代の四年間では、限りある資源の中でいかに学生の学びを深められるか、このことについてずっと考えてきました。例えば、初年次教育やゼミ改革、スチューデントアシスタント制度を導入すれば予算もかかります。こうした教育予算をどこからねん出するかを考えることも学部長の仕事だと思います。近隣高校も回り、高校生のニーズや高校の先生の率直な意見を掴むことも必要です。更にこうしたことをうまく教員に投げかけて、一緒に行動してもらわなければなりません」。
教育改革についても、教員個人の授業改善よりも、法学部全体の授業ルールを決めた。「例えば、私語対策として座席指定制度を提唱しました。シンプルだけれど非常に効果的でした。この取組を参考に前教務部長はチャイムと同時に授業を開始する、授業開始の厳格化を全学で行いました。新入生を中心に学生の遅刻は大幅に減りました。一授業の改善も重要ですが、最低限のルールを全教員に徹底するだけで驚くように変化することもあります。大学の雰囲気は、一人の教員がどんなに頑張っても変わりませんが、小さなことを組織的にやることで変わります」と述べる。教員の個人芸と考えられがちなFDだが、そもそも「学部教育」全体をどのようにデザインするかで劇的に変わる。これは事務局組織についても言えるだろう。
 しかし、こうした学部長スキルを学ぶ機会は実はどこにもない。そこで山本教授は、学部長研修が必要だと提案する。「大学のガバナンスやマネジメントが重要だと内外で叫ばれているにもかかわらず、改革の重要な担い手である学部長のスキルを高める手段がありません。学部長は中間管理職で、就任すればいきなり仕事が出来るものではありません。学部の戦略的な予算管理もマーケティングも知っていなければなりません」と述べる。一般的にFDは授業改善を指すのであり、行政管理は含まれていない。しかし、誰もが学長・学部長を務める可能性があり、選出されてから研修したのでは遅いのである。アメリカでは、教員の行政管理職向けの専門職大学院があるという。
しかしながら、多くが50〜60歳の学部長に研修は可能なのか。逆に、若い頃に行政管理研修をしてしまうのも一つの方法だが、学部長なんてまだ先、と真面目には勉強しないかもしれない。そこで、と山本教授は切り出す。
 「平教員の時から、委員会活動等を利用して、戦略的に教員の行政管理スキルを伸ばしていけないでしょうか。活動を通じて、徐々にリーダーシップを身につけ、マネジメント力を伸ばしていく仕組みを各大学で作れると良いと思います。トップには、これぞという教員に権限と予算を移譲し、プロジェクトを任せるという発想が大事だと思います」。
 こうした(OJT的な)内部研修の仕組みを作り、リーダーシップを取らせる経験を積み上げていく。これらを取り仕切るのが職員の役割でもあるのでは、と山本教授は述べる。もちろん、教員は流動的なので、幹部候補生が辞めてしまうこともあるかもしれない。逆に、前職で素晴らしい行政管理スキルを身に付けた教員が転職してくることもあるかもしれない。
 最後に、大学のリーダーシップのあり方についても苦言を呈した。「現在、学長のリーダーシップとは、トップダウン的な要素が強調されますが、民間企業でも、トップのリーダーシップとは現場をどう元気づけて、アイデアが出てくるように仕向けられるかが鍵ではないでしょうか。政府や産業界のいう大学ガバナンスとは単純な上意下達システムではないはずです」。

芦田宏直『努力する人間になってはいけない―学校と仕事と社会の新人論 』のレビューを書きました

アマゾンのレビュー掲載まで時間がかかると思うので、まずはこちらに転載します。
プレッシャーを感じすぎて、とっちらかった内容になってしまいました(笑)
私にとっての「実用書」という感じの書評になりました。

              • -

「マージナル大学に対して遠くとも確固たる目標をつきつける芦田氏の論考」

 芦田宏直氏の論考がついに書籍になった。
努力する人間になってはいけない―学校と仕事と社会の新人論

様々な理由から私は芦田先生のブログや講演の書籍を待ち望んでいた。著者の論考は、大雑把に言うと、「学生に向けられた言葉」「大学関係者に向けられた言葉」「社会人全体に向けられた言葉」「機能主義批判」の4つに分けられる。本書はそれらをすべて盛り込んだ内容になっている。哲学的な難解な文体が後半になればなるほど濃厚になってくるが、その合間合間にも、哲学の門外漢にとってもはっとさせられる箇所がたくさんある。特に、学生や大学関係者、そして職場で若い人を育てる立場にある人達に読んでもらいたい。特に、「大学全入時代の学生を人材として育てる(17頁)」という困難な課題に立ち向かおうとしている大学教員にとっては、必読である。

 私は2008年から20012年までとある大学で法学部長を務めたことがある。2010年だっただろうか、当時の私が調子よく学生に体験学習を行うことの大切さについてツイートしていたところ、何の前触れもなく「突如として」本書の著者である芦田氏のリツートが飛び込んできた。
「こんな教員が増えているから大学がだめになっている」
 この言葉は私にとってかなりショックだった。思わず、「変ないちゃもんをつけるおっさんが現れた」とブロックした。しかしどうも気になる。本人のプロフィールを見ると、専門分野はドイツ哲学・現代思想だという。ああ、昔ながらの頭の硬い変人なのかとおもったが、どうも気になり、芦田氏のブログを読みだした。

 しばらく読んでいくと、この人は単なるいちゃもんをつけている人ではないことに気づいた。哲学→専門学校の校長先生→大学教授→大学の副学長&様々な専門学校の理事、という不思議な経歴と、硬軟取り混ぜたブログの記事、そしてツイッターの乱暴な語り口が相まって、すぐには芦田氏の人となりを理解しづらいのだが、よくよく読んでいくと、現在の大学の状況と課題をあらゆる面から鋭くついている。たとえば、本書の第七章に収録されている「<シラバス>はなぜ機能しないのかーー大綱化運動の経緯と顛末」はその一つである。私は、現在の大学が置かれた状況を説明し、問題をえぐり出すものとして、これほど説得的な論考は他に見当たらないと思った。八〇年代後半の中曽根臨教審路線とともに浮上した個性教育・自主性教育路線と、少子化による大学全入の動き、そして「特色化」による大学の教育力の低下、ハイパー・メリトクラシー教育の前面化等々が相まって、現在の大学の深刻な状況が生まれていることを見事に説明していた。

 こうして、私は芦田氏のブロックを解除しただけでなく、芦田氏の発言を注意深く追うことにした。他方、芦田氏は私に目をつけたのか(笑)、私の発言に対して、たびたび鋭いリツートを送ってくれるようになった。その中で、大学の教育目標は学生の現状を追認した「とりあえず」なものであってはならないこと、偏差値の低い大学ほど教育力の高さでもって学生の「階層移動」を実現させなければいけないこと、知識を積み上げるためのカリキュラムとそれを実現するためのコマシラバスおよび授業ごとの丹念な形成的評価が必要であること等々、私自身が「組織的な」教育改革を行ううえで、まさに必要としていた考え方を丁寧に教えていただいたのだ。

 著者は、大学とは「一生続けていける知識や技術の深みに出会えるところ(122頁)」であり、「若い奴らの自尊心を破壊するところ(真の専門性の気高さを感じさせるところ)(123頁)」であるべきだという。「どんな大学であっても」教員の専門性こそが学生を救うことになるというわけだ。これらの考え方は、第七章の「学校教育の意味とはなにか」に収録されている。(マージナル大学やFランク大学を含めた)大学の社会的意義をここまで純粋で本質的な考え方をもとに議論している人は少ない。「<学校教育>の<教員>とは、その意味で社会的な<親>である(212頁)」という一見、大学教員に対する挑発的な言葉も、我々は「第二の親」として学生を引き受けるべきだという、(多くの教員が忘れかけている)学校本来の役割を改めて問うているのだ。はたして、我々の卒業生は、卒業後、我々の大学を「母校」と呼んでくれるだろうか。それは我々の教育内容とその成果にかかっている。

 その後、私自身、著者の考え方に影響を受けつつ、学部教育改革、特に専門課程の教育改革を進めた。それは2014年度から導入される新カリキュラムにつながった。新カリキュラムでは、専門科目を半減し、自由履修をなるべく少くして、否応なしに専門科目を段階的に学ぶしかないカリキュラム、すなわち「積み上げ型カリキュラム」に近づいた。また、初年次の専門導入科目(入門科目)は単位数を半期で4単位とし、インプットに加えて知識の理解・定着を十分にとるための時間数を確保した。要するに、入学時の偏差値を乗り越え、卒業時には上位の大学を上回る学力を持たせられる教育の仕組みを目指したのである。

 付言すると、近年、多くの大学で課題とされているアクティブ・ラーニングについても、著者の指摘を十分検討すべきだと思う。多くの場合、こうした授業は、著者が問題視する自己表現的、意欲主義に陥ってしまいがちである。それを乗り越えるためには、専門知識を正面からいかに取り扱うかにかかっている。アクティブ・ラーニングを(手法として)導入するにしても、インプットをいかに多くするか、また学生をいかにインプットに向かわせるかがポイントとなるだろう。コミュニケーション能力や意欲は、確かに「生きる力」の一つなのかもしれないが、それは授業で教員が教えられるものではない。もちろん、それらの能力は、授業でのディスカッション等の副産物として身につくであろうし、自己評価の対象ともなりえるだろうが、教員による直接評価は無理である。ましてや、こうした自己評価を成績評価に組み込むことはすべきでない。

 また、私自身が学生に対して伝える言葉も、かなり著者の影響を受けるようになった。本書の第一章から第三章にかけて収録されている専門学校時代の卒業式・入学式の式辞は、多くの学生にぜひ知ってもらいたい。「単純な仕事は決して単純ではありません。そう思える人だけが、次の水準の仕事を『与えられる』ことになります(43頁)」といった言葉に代表される芦田氏の考え方を、学生に対して参考文献として示せるようになったことは、私にとってうれしいことだ(笑)。

 なお、哲学にほとんど踏み込んだことがない私にとって、本書全体を評することはできない。正直に言えば、機能主義批判にいたっては、何が問題なのかさっぱり分からない(笑) ただ、「人はどのように成長・変化していくのか」とか「人は何を目指して成長・変化するのか」といった問題に対して機能主義・実証主義が何も説明できない(説明から除外する)ことと、哲学と教育が結びついた著者の問題意識とは、関係があるのかもしれない。たとえば、「仕事のやり方を変える、変わる」という一つをとっても、人は目的をもって新しいことに踏み出していくわけで、そうした人間の意志のいとなみを排除する機能主義は、教育や人材育成という仕事に携わる以上、著者にとって乗り越えるべき考え方なのではないかと、思う。

 「できない学生」ほど大学に行くべきだ(377頁)。著者のこの言葉に見合う大学はどれほど存在しているだろうか。現実は悲惨な状況かもしれないが、大学教員としては、少しずつそのような大学に近づけるよう、努力すべきだと思う。いや、「努力してはいけない」のであって(笑)、その目標を達成するために、我々は大学のあり方、授業のやり方を「変えなくてはならない」のだ。

警察官採用試験の小論文は何を問うているのか?

公務員試験には必ず小論文があります。警察官試験も同様です。また、最近では、九州の中規模程度の企業でも小論文や作文が増えているようですから、文章能力をみるのは公務員だけとは限らなくなってきました。

ともあれ、警察官の小論文とはなにか特殊な内容のものなのでしょうか? 東京アカデミーのサイトに、全国都道府県警の過去問が掲載されてあります。

まず、福岡県警の過去問から見てみましょう。
◯平成22年度《第1回》……【時間】60分 【字数】1050字以内 
福岡県警察は、「県民の安全・安心の確保」のため、「力強い警察活動」を推進していますが、それを踏まえた上で、あなたが警察官となった場合、何をなすべきかについて考えを述べなさい。
◯平成22年度《第1回》……【時間】60分 【字数】1050字以内 
福岡県警察は、「県民の安全・安心の確保」のため、「力強い警察活動」を推進していますが、それを踏まえた上で、あなたが警察官となった場合、何をなすべきかについて考えを述べなさい。
 
福岡県警の課題は、毎年このような傾向であることがわかります。今年度も同様でした。このように、警察業務と関係がある問題を設定され、それに対して「あなたは警察官としてなにをなすべきと考えるか」ということを書くタイプの課題のことを、「対課題型」課題と呼んでみましょう。

この「対課題型」課題は、全国の半数近くの県警で出題されています。たとえば、「昨年1年間に自動車運転免許証を自主的に返納した人は全国で5万人を超え、前年比75.3%増と大幅に増えました。また、このうち75歳以上の人は約2万8,000人と過去最多になりました。そこで、このことについて、その背景と今後望むべき方向について、あなたの考えを700字以上900字以内で論じなさい」(埼玉県警)とか、「鹿児島県の治安上の問題を挙げ,それに対して警察官としてどのように取り組みたいか、あなたの考えを論述しなさい」(鹿児島県警)などがその代表例です。

さて、この福岡県警の「課題解決型」課題を分析すると、次の4点が問われていることがわかります。
①志願者が県の治安情勢や県警の課題等の情報にアクセスできているかどうか、
②それらの情報を理解・分析できているかどうか、
③そうした情報を踏まえた上で、当事者意識を持った課題解決策を提案できるかどうか、
④それらを1000字程度の文章で論理的に表現できるかどうか、

この小論文で問われているのは、警察官特有の知識やスキルだけではありません。この課題に対してたった一つの正解があるわけではありません。そうではなく、この課題は文章表現のプロセスである「情報収集力」「情報分析力」「課題発見力」「構想力」「表現力」がすべてを問うているのです。県警の課題などは、県警本部長の年頭の挨拶などを見つけ出せれば、おおよそ予想はつきます。それは試験対策でなんとでもなる話です。それよりも、この小論で問われているのは、特定の職業を超えて必要とされる汎用的技能(ジェネリック・スキル)であり、「日本語リテラシー」そのものです。それは大学4年間で育成していく力であり、その力こそが、大学卒業後、職業人として、また広い意味での社会人として、生きていくために必要な力の一つなのです。

ここで別の県警の問題をみてみましょう。警視庁をみると、「過去に達成感を得た経験と、その経験を警視庁警察官としてどのように活かしたいか述べなさい」といった、上の課題とはちょっと傾向の異なる課題を要求する県警もあります。「今まで経験してきた中で、これから警察官としてどう生かせるかあなたの考えを論じなさい」(神奈川県警)や、「あなた自身の性格、個性あるいは能力等を分析した上で、あなたが目指す理想の警察官像を述べなさい。」(佐賀県警)なども同様です。

これらは、「自分はどういう人間なのか?」「自分はどういう経験をしてきたのか?」という意味で、「対自己型」課題と呼ぶことにしましょう。こうした内容を出す県警は他にも多く、先ほどの「対課題型」課題と同じくらいの出題頻度です。そして、これまた正解があるような課題ではありません。むしろ、これらの内容は民間企業の面接などでも問われるような内容です。つまり、その人の「コンピテンシー(行動特性)」を問う課題です。その人の経験やそこから学んだことを通して、その人の行動特性を判断し、その行動特性が警察組織と適合するかを評価しているのです。こうした課題に対しては、自分の経験に対する十分な「振り返り」が普段からできているかが問われます。それも、警察官になるための対策というよりは、やはり、大学卒業後、職業人として、また広い意味での社会人として、生きていくために必要な力の一つだといえるのです。

「対課題型」課題と「対自己型」課題。この2つのキーワードで県警の小論文を分類してみました。どちらの課題も、特定の知識やスキルのみを問うているわけではありません。前者は社会人としてふさわしい日本語リテラシーの有無を、後者は、社会人としてふさわしい行動特性の有無を問うているといえるでしょう。どちらも、観点は違いますが、「社会人」としてふさわしいか、「組織人」として仕事がちゃんとできるのか、そうしたスキルを大学の間にきちんと蓄積してきたのか、という点を問うているわけです。

警察官になるための最大の近道は、4年間かけて、付け焼刃の小論対策がたち打ち出来ないような本当の実力を持った「日本語リテラシー」を身に付けることです。ウチの学部では、「文章表現科目(教養特殊講義)」を通して、1年次からそうした力を育成しています。それは何も、「警察官」だけを特別に育成したいからだというわけではありません。警察官小論試験でよい文章が書けるようになることは、大学卒業後、職業人として、また広い意味での社会人として、生きていくために必要な力を持っているともいえるからだ、と考えているからなのです。