番外編〜こんなPBL研修をやってみた

先日、大学からおよそ30kmくらい離れた宗像グローバルアリーナというところで、「オフキャンパスFD研修」と題して1泊2日の教職員研修をやってきました。オフキャンパス研修は今回で2回目。大学を離れ自然豊かな場所のなかで、ゆっくりと参加者全員でグループワークの手法を学ぶとともに、その手法を使って初年次教育やFDについて考えるという内容です。学内でやる研修と違って、参加者同士が長時間一緒に過ごすわけで、参加者の方向性や一体感の醸成が促進され、ゆっくりと確実な教育改革につながっていくのです。

さて、今回は「ジグゾー学習法体験研修」「PBL体験研修」「ワールドカフェで『学生の学力』についてディスカッションする」「フィッシュボーンを使って今後のゼミ計画を立案する」という4つのワークショップをやりました。参加者は30名近く。どのワークショップも2時間ぐらいかけてたっぷりと取り組みました(写真はこちら)。

今回、僕がファシったのはPBL。Project Based LearningとかProblem Based Leaningのことです。「プロジェクトや課題が学びをもたらす」という考え方に立脚し、学生に対して知識を学ぶ前に課題を与え、学生はその課題をグループで解決するなかで、自らが学ぶ必要性に気づくとともに、知識を使って課題を解決する発想法を学びます。

「今日、最も重要な知識は教科の中にはない。知識を生かすことができる能力は到達範囲より重要である」(T. Wagner,2002) という考え方は、今の日本の(文系の)大学教育の中であまりに過小評価されていると思います。三重大学などでは、全学的にPBLが導入されるようになりましたが、でもまだ、PBLをやったことがあるという教員は非常に少ないのじゃないかなと思います。

僕自身は、2002年から入門演習では必ず「問題発見・問題解決学習」をやってきました。商店街で授業やゼミをやったのもそのためです。これは、学生にスキルとしての問題発見・問題解決能力を育成するということだけでなく、むしろ、大学生としての「マインドセット」の転換をもたらすことを重視していました。「ひとから成り立つシステムを理解する最良の方法は、それを変えてみようとすることだ、というK.Lewinのアクション・リサーチの姿勢(金井壽宏神戸大教授tweetより)」を実感させることが大切だと思ってきたからです。この課題に成功しようが失敗しようが、能動的な知識獲得の面白さと難しさを知ることは、その後の大学での勉強に対する姿勢をずいぶん変えるはずです。

さて、前置きはいいとして、今回、教員に対するPBL研修で悩んだのがテーマ。『東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた』や『発想する会社』で紹介されていたIDEOの「歯ブラシのイノベーションを考える」でもよいかと思いましたが、やっぱりもっとローカルなネタがいいなと思っているうちに、思い出したのが、以前、twitterが縁でお話した @shushokukatudou さんのアイディア。「キャリアデザインの一環として企業の仕事のやり方とか持ってるノウハウを学生に紹介するのはどうだろう」というものです。実際に伺ったお話はもっと具体的なものだったのですが、それこそ、そういう授業はPBLでやると面白いと思ったのです。twitterによる出会いが自分のアクションにつながるという意味でtwitterはスゴイですね。この出会いは大きかったです。

ともあれ、企業と連携したキャリアデザインの授業は、すでに多くの大学が取り組んでいるようです。そういう授業では、「学生自身の力を伸ばす」という観点からみて、「企業の人たちやその顧客と会い、自分の足で情報をとる」「授業を通じて得られた明示的・暗黙的な知識を使ってアウトプットする」というプロセスを組み込むことが不可欠だと、僕は思うのです。

で、ウチの大学がやるとしたら、やっぱり岡垣にある「ぶどうの樹」だろうなと。ここを運営しているグラノ24Kは、様々なマスコミで話題になっている(たとえばこれとか)ように、全国で20店舗を持ち、売上は30億、全店舗で実現できる「地産地消」システムを構築したユニークな会社です。おそらく、福岡では知らない人はいないでしょう。そういう面白いお店から、大学の近くでの新店舗展開という提案を受けたとしたら、学生たちは喜んで取組むだろうなあと思います。

教員研修とはいえ、そういう場に社長が来たら面白いだろうなあ。なんか本格的な研修をやってるっていう気分にもなるし、グループ発表も緊張感がまるで違うだろうなあ。そういう研修ってやったことなかったけど、実現できたら面白いだろうなあ。

というわけで、さっそく大学経由でこの会社の社長さんに連絡をとっていただき、説明のためにお会いすることにしました。お会いすると、社長の小役丸秀一さんは非常に気さくで、何事も好奇心旺盛な方。それに広報担当の方が元教員という異色の経歴の方で、PBLの説明をすると、瞬時にその趣旨を理解して下さり、快く研修に協力していただけると快諾していただきました。

結局、話がものすごく盛り上がり、打ち合わせの大半は雑談になってしまったほどです。前述したように、小役丸社長は好奇心旺盛で、遊び心とセンスがあり、人好きして、顧客目線を絶対にぶれさせない人。僕自身、大学とは別に仕事をしてきた中で、こういう社長さんと何人かお会いしたことがあります。厳しい競争環境にありながら、自身の個性から生み出される独自のポジションを築き、楽しく仕事してる人たち。こういう人たちと一緒に仕事をするとこちらも楽しくなるのです。特に、その顧客目線をぶれさせないという姿勢からは、学ぶことがものすごくあります。

というわけで、PBL研修のテーマは次のようになりました。

「「野の葡萄」等を経営しているグラノ24Kが八幡駅前に新店舗を展開するため、大学と一緒に新店舗づくりを考えたいという要望が大学に寄せられました(設定はフィクションです)。みなさんのグループで、新店舗の場所、コンセプト(八幡ならではの特色)、業態、営業時間、メニュー、PR方法、解決すべき課題等を考え、アイディアを1枚の模造紙にまとめて、社長の前でプレゼンしてください。」

なかなか面白いテーマですよね。それともちろん、「上記のような内容を授業で行うとして、その方法論と意義をまとめてください」ということも外せない。

実際に研修が始まると、どのグループも熱気がすごかったです。やっぱり「自由な発想で考えること」って誰にとっても楽しいことなんですね。あとは「社長の前でプレゼンする」というプレッシャーはやっぱりみなさんのヤル気を引き出したようです。この点は学生と一緒ですね。外部の人が混ざるだけで、参加者のモチベーションはぐっと違ってきます。

結局、どのグループも面白い発表をしたのですが、特に僕自身は「皿倉山の商業利用に先鞭をつけ、頂上からの夜景を売り物にした店舗をつくるとともに、ロープウェーと近郊のJR駅とのネットワークを様々なぶどうの樹の店舗で構築する」というプレゼンをしたチームが面白かったなあと。こういう発想を65歳を越えた人(しかも前職は警察官)が中心になってさらっと出すものだから、九国大には面白い人材が集まってると改めて実感しました。

その他、チャレンジ店舗で構成されるフードコートとか、ワールドレストラン、健康と食の大切さをコンセプトに病院や大学と連携したレストラン、イベントスペースを中心にしたレストランとか、いろんなアイディアが次々と湧き出ていました。

で、どのグループのプレゼンに対しても社長は、「その発想は面白い。実は、◯◯という場所でこんなことをやろうとしているのだが、それに近いかも」とか「我々の業界では◯◯というのですが、それと近いですよね」などと臨機応変なコメントをくれます。

で、なんと最後に、「みなさんが準備してるのを見て、自分も新店舗のアイディアを思いついた」といって、いきなり即興のプレゼンを始めたのです。

社長が提案するコンセプトは「大学生とお年寄りが出会う店」。「食ってなんだろうって考えたときに、それはコミュニケーションだろうと思う」という言葉から始まり、自己紹介から八幡の話と結びつけ、結局、お年寄りと若者って相性がいいんだけど、そういう人たちが出会う場ってないよね、お年寄りが調理し、学生と一緒になって食事をするようなお店ができたらどうなるんだろうという夢のような話を語りだしたのです。

特に最後が面白かった。店舗のロケーションとかコンセプトとか、そういうフードビジネスに常識的な話はすっとばし、「◯◯とみこさん、68歳。子供は◯◯大学に行って東京で仕事をしています。地元ではあんまり仕事が無いから仕方ないけど、夫と二人暮らしですることもなく、食事といえば一つのお弁当を二人で分けて食べるだけで、寂しいと思ってました。でも、このレストランで働き出して、学生さんの顔を見ながら料理をしたり、一緒に食事をとったりするうちに、『ああ、これは自分の第二の人生として与えられた仕事であり喜びなんだなあ』と感じるのです」という架空のレストランで働いている女性の手記で締めたのです。

模造紙もパワポも何も使わないで、即興で語ってくれた3〜4分程度のプレゼンなのですが、我々の頭の中にはくっきりとそのお店で働く人達の様子や、そこで食事をしている学生たちの顔が浮かびます。なんとすごいプレゼン。「夢を語る」とは自分がやりたいこと、自分のアイディアを語るのではなく、そこで実現されるものに関わる人々の思いをイメージすることなんだ、ということを明確に僕たちに示してくれただけでなく、そのイメージ喚起力に一同驚嘆し、拍手喝采でした。

もちろん実際のビジネスでは、売上-コスト=利益という図式に落としこんでいくわけですから、こんな夢だけで話が終わらないことは当然です。でも、実現可能性とかは脇においても、普段から、新しいお店、新しい取り組みを始めるとき、社長の頭の中にあるのはこういうことなんだろうなあ、そしてこういうイメージを語るから、従業員がみんなが付いていくんだろうし、お店が成功するんだろうなあということが容易に想像されます。

仮にこういう企業と連携して授業やゼミができるとしたら、僕は経営学とかマーケティングではなく、「キャリアデザイン」だろうと思います。知識の暗記力ではなく活用力。最初に社長から課題を出され、店舗や農園などをフィールドに様々な調査を行い、自分たちで構想を立案し、最後に社長の前でプレゼンするという授業。で、社長からおだてられて舞い上がったあとで、自分たちの何百倍もすごいプレゼンを最後に見せつけられてへこんで終わる。そうしたプロセスを通じて、学生が学ぶことはものすごくあるはずです。

逆に、経営学の人から見ると、この社長のプレゼンからは、経営学的視点が感じられてなくって、物足りないだろうなあと思います。でも、経営学の知識と企業が経営できることは別なのです。中小企業の大半は、経営学の知識は必要条件ですらないでしょう。そういう世界に入ろうとする学生たちは、やはり「大学で学ぶことって何なんだろう」と立ち止まって考える必要があるでしょうし、教員も「自分たちが提供している知識は何のためのものなんだろう」と自省するべきだと考えます。

「仕事で不可欠なことは顧客のニーズを想像することです」と言葉で伝えても、言葉そのものの意味は理解できても、その言葉通りに自分が思考できるかということは別の次元です。「顧客満足度」「従業員満足度」というキーワードを使って文章を作成できることと、社長をプレゼンを見て「ああ、自分たちのプレゼンに足りなかったのはこれなのか」と実感すること。どちらの方が、深い学びになるでしょうか。

大学と企業が連携してこういう授業をやることに対して、違和感を感じる人はまだまだ多いでしょう。やり方によっては浅薄なものになってしまう危険性もあります。でも、地域の中でキラリと光る企業を大学とつなぎ、学生を育てるための材料やフィールドを提供してもらうという取組の重要性は、この研修を通じて、本学では多くの教員に共有されたような気がします。


ということで、次は「夢の実現」ですね。とりあえず一里塚は突破したかなと。

新米教員、新入生研修を乗っ取る(その2)〜こんな新入生研修があるのか!

みなさん、こんにちは。


2003年のことです。一橋大学国際企業戦略研究科(ICS)という、半分が留学生、授業はすべて英語というちょっと変わった大学院が面白い研修をやるから見にこいと誘われ、ちょうど夏休みということもあって、僕は八ヶ岳にまで、のこのこと出かけていったのでした。それが僕とPA(Project Adventure)の運命的な出会いでした。


その時は、何をやるのか、どんな内容なのかまったく知らされないまま出かけていったのでした。で、当日は運悪く、雨。しかも、雨合羽を着てプログラムを強行するというのです。「え〜、なんかウザイなあ」と思いつつ、研修を見ていると、やはりなんだかよくわからない。グループでボールを投げ合ったり、板を使ってみんなで手をつないで渡ってみたり。ファシリテーションがすべて英語で行われていることもあって、外からみていると、最初のうちは、何をやっているのかまったくわからなかったのです。


こ、これは一体なんのためにやってるのだろう? ノリの良い留学生だけに、やけにテンションが高いのは分かるんだけどなんななんだ、と謎に包まれながらしばらく見ていると、次第に、次のようなアクティビティを見ているうちに、「なるほど」と思わされるようになったのです。

これは通称「ジャイアント・シーソー」。ファシリテーターは、「シーソーが地面につかないように全員がこのシーソーに乗ってください。失敗して良い回数は自分たちで決めましょう」と支持を出しています。それを受けて、みんな一生懸命話し合いながら取り組んでいるのです。なるほど! これは問題解決をチームで身体を使ってやるゲームなんだな。

実際、みんなとっても真剣にこの課題に取り組んでいました。誰かがリーダーシップをとり、みんんで成功するための戦略を考え、実際に失敗しながらその戦略を試しつつすこしずつ改良し、最後に成功した要因をみんなで分析(=振り返り)する。これは確かにビジネス・スクールの学生にとって、非常に有益な内容だなと思ったのでした。

これは通称「アイランズ」。2枚の長短のある板を使って、みんなで3つの島を渡っていくというもの。これまたとても難し課題解決の問題なのでした。


なるほど〜、とってもよくできてるねえ、これはスゴイ、と大変感銘を受けたのです。
1日目はそんなところで終わって、次は2日目。さらに目を開かされる思いをしたのでした。


2日目の最初は「ネームストレッチ」。みんなでストレッチをしながら全員の名前を確認していく中で、「誰か全員の名前を言える?」っていうファシリテーターの問いかけに、手を上げる学生たちが続々。実は教員もこのグループの中に入っていたようで、先生方も率先して、新入生50名の名前を全員覚えていることをアピールしていたのでした。スゴイ! 


どうやらこの研修は、新入生だけじゃなく、教員・職員も一緒にやっているとか。なるほど! 留学生だけに年齢構成がバラバラだったので、先生か学生かよくわからなかったのです。それってとっても重要な取組じゃないですか。新入生がお互いに名前を覚えあって仲良くなるだけじゃなく、教員との距離もここで一気に縮まるような研修。僕が学生の頃には考えられないような内容だなあ。こういうゲームを先生と新入生が一緒に取組んでるというだけで、大学院の雰囲気がわかるような気がするじゃないですか。特に留学生を相手にしている場合、こういう取組は不可欠だと思います。

というのは、僕が大学院の時、悲しいことに留学生の自殺が問題になっていました。大学で孤立してしまって、大学院をドロップアウトしたり自殺したりということが結構頻繁に起きていたのです。当時の大学はそういうことに鈍感でした。だから、こういう研修を留学生が多い大学院がやるということは、非常に意味があるわけです。

実際に、この研修に参加しているグループそれぞれの雰囲気はどんどんよくなり、次々といろんな「アクティビティ」にチャレンジしていきます。



これなんかは、後ろ向きに倒れるのをみんなが支えるという、通称「トラスト・フォール」。成功した時のチャレンジャーのものすごくいい笑顔を見ると、チームを信頼し、チームに身体を預けるという体験をみんなで一生懸命にやるのはとっても意味があるんだなと思いました。


そのうち「ハイエレメント」と呼ばれる、高い位置でのアクティビティが始まりました。

こ、これはスゴイ。10mの壁を登ったり、10mの高さの丸太を端から端まで渡ったり、ワイヤーを渡ったり、高いところからジャンプしたり。



ちょっと一言では言い表せられないくらいのアクティビティが次々と始まります。そして、はたから見ていても、「チームがまとまっていると個人のチャレンジは限界を越えたところで可能になる」ということが目に見えてわかるのでした。スゴイなあと思ってると、教員たちもぞくぞくチャレンジしていくではありませんか。

ある年配の先生は、10mの高さの丸太を渡ることを「これはねえ、単純にメンタルの問題なんですよ。30cmしか浮いてないと思えば全然怖くないでしょ。そういう意味で非常に面白いアクティビティですね」と言いつつ、なんなくこなしていたり。

圧巻はあの著名な経営学者の竹内弘高センセイ。誰よりもハイテンションで、鼻歌を大声で(笑)歌いながら、あという間にワイヤーをわたってみせたのでした。超優秀な経営学者はメンタル面とフィジカル面すべて卓越してないといけないと思っていらっしゃるようでした。それはとにかく、先生たちのコミットぶりがむちゃくちゃ印象的でした。その他にも、石倉洋子先生とかいろんな著名な先生たちが新入生を受け入れるための研修に一生懸命、そして楽しそうに参加している姿は、今でもつよく印象に残っています。

外部の僕だって、この時に参加した先生たち全員のことを覚えているし、今でもその先生たちの本が出たら、つい手にとってしまいます。それに当時の新入生たちの顔もなんとなく覚えてます。というのは、僕も、最後にはこのアクティビティに参加して10mの高さから空中ブランコめがけて飛んだから。ああいうことを他のメンバーにサポートしてもらう安心感というか嬉しさというのは、長く忘れない記憶になるのだなあと実感できます。

その後も、一橋ICS2003の研修は夜も楽しくバーベキューへとなだれ込み、テンションがさらに高まっていったのでした。いや、すごいなあと本当に感動したのです。

さらに2日目は、グループでロープを使って川を渡るという冒険。これまた面白い内容でしたが詳細は省略。


ともかく、この研修を見て、本当に感銘を受けたのでした。聞くうちに、この研修はアメリカでProject Adventureという団体が生み出したものであること、日本でも小学校から企業研修までいろんなところで使われていることなどを知ったのでした。リコーなどは自前の施設を持っているし、全国にも青少年自然の家などでこういう施設があることもわかりました。

そして、こんな面白い研修を知って、そのままにしておくなんてできないでしょう。一橋ICSでやってるなら、ウチこそこの研修を導入すべきでしょう。退学問題、やる気の問題等々多くの問題を抱えているウチの大学でこれをやれば、雰囲気は少しぐらい変わるんじゃない。でも、こういう施設に行ったり、プロのファシリテーターを雇う余裕は全くないから、じゃあ、ウチでは、施設を使わなくてもできるものを中心に、上級生にこのノウハウを学んでもらおう。それは一つの教育プログラムになるじゃないか。

この時、瞬時に、2004年から現在まで続く固く、九国大法学部フレッシャーズ・ミーティングの構想ができたのでした。当時はまだペーペーの新米教員で、新入生研修の担当者でもなんでもなかったし、当時は大学に対するコミットメントの程度をむしろ疑われていたくらいの人間だったのですが、それでもこうしたことを「思いついてしまった」からには、実現の方法を探らないとダメだろうと思ったのでした。


2003年9月のことでした。その3ヶ月後に本当に研修を乗っ取って、PAを導入してしまうとは、さすがにその時にはわからなかったですけどね。

新米教員、新入生研修を乗っ取る(その1)

大学の教員はしばしば「自分の専門分野を学生がどれだけ理解できるか」で学生を評価しがちです。でも、それだと、実は、東大・京大の学生以外はみんな劣等生になってしまいます。そうではなくて、単純に、学生が今までできなかったことができるようになり、何かを達成して自信を持つ瞬間を見て、「こいつは成長したな」と思えることが大切ではないかと思うのです。そういう教員が少ないのは日本の大学にとって非常に不幸だと思います。もちろん、そうではない教員も最近はずいぶん増えたのも事実ですが。

僕は、学生がどんな能力であれ「成長する瞬間」あるいは「一皮むけた瞬間」に居合わせたいと思っています。できれば、自分がそういうきっかけを提供したいと思っています。これが僕の教育の原動力のひとつになっているような気がします。

大学教員として赴任する前に、とある大学で研究生という肩書きをもらってぶらぶらしていた頃、慶応SFCとか東工大とか一橋とかの大学の学生と一緒に、ウェブ関係のプロジェクトをこなした経験があります。今でいうSNSみたいなものとかはてなブックマークみたいなものを僕が知り合いの企業から受注してしまい、スクリプトを書いたこともない、そしてまるで自信のない学生たちと一緒にああでもないこうでもないと悩みながら、納期までになんとか間に合わせなきゃと胃が痛くなるような気持ちでプロジェクトに取り組んだのです。

僕は、必然的にディレクターとして学生たちを指揮する立場になりました。自分はディレクターで、学生がプレイヤー。ある意味、上司と部下の関係ともいえます。ただ、普通の会社と違うのは、僕を含めた全員が初心者で(クライアントにはそうは言えないのですが)、全員が納期に向けて一心不乱にがんばる立場に追い込まれるという点です。しかも、すでに前渡金を受け取っている以上、「できませんでした」という選択肢はありえません。たとえ行き詰っても、なんとかできる方法を考えなくてはいけないのです。また、納期に間に合わなかったとして、「いや、学生の能力が低いから」というのは何の言い訳にもなりません。自分の管理能力が問われるだけです。

そういう修羅場を経験しつつ、当時から「これってある意味、理想的な教育環境だな」と思っていました。チーム全体が切羽詰った環境に置かれると、その時はみんなでイライラしたり、不満をぶつけたり、いろんなことがあります。しかし、無事にプロジェクトを乗り切ると、その反動といえるくらい、一気にチームの結束力が高まります。また、そういう修羅場を乗り越えた学生は、自信に満ち溢れるようになります。打ち上げの席で、きらきらひかる目でしゃべりまくる学生を見て、こいつは社会に出ても成長し続けるなと、僕も安心したものです。「成長」ってこういう事なんですよね。最初は「大丈夫か」と思うほど自信がなくておどおどしている学生が、プロジェクトを乗り切ると見違えるようになります。それとともに、僕との関係も一気に深まります。信頼関係で結ばれるというのはこういうことなのかと。

その後、僕が大学教員としてこの大学に赴任して以来、僕は「ウチの学生とプロジェクトをやりたい」とずっと思っていました。プロジェクトをやれば、そして僕がディレクションをきちんとすれば、学生は見違えるように成長するはず、というのは確信を持っていました。

ところが、当時、ウチの大学では、学生の能力に信頼を持つ教員はきわめて少なかったと思います。「学生に任せることなんてできないよ」と、若手教員ですら言っていました。「学生は何をするか分からない。だから学生に任せてはダメだ」と。だから、当時は、入学後の宿泊研修からオープンキャンパスの企画からホームページの活動紹介にいたるまで、何から何まで教員がすべて仕切っていました。

そういう言葉を、学生ととっても近い関係にいる教員ですら言っていたのが、僕はとても残念でした。ああ、この人達は「学生に全てを一任する」ことと「学生と一緒にプロジェクトをやる」ことの区別がつかないんだなと。「学生に一任する」とは、学生を「出入りの業者」として扱うことと同じだと僕は思います。で、経験も何もない学生が、仕事を一任されて、何かができるわけがないじゃないですか。「やっぱり学生はダメだ」といっても、それは教員のディレクション能力が欠如していることのあらわれなのです。

今から思えば、当時の大学教員は、学生の質が一気に変わる真っ只中にいて、新しい学生の扱い方に戸惑っていたのだと思います。それまでは、学生を大人として扱っていて、また学生もそう扱われることを望んでいたのが、突然、2000年頃になって、学生がそうじゃなくなったことに呆然としていたのかもしれません。ただし、以前は学生が大人だったというのも僕は幻想だと思います。単純に学生も教員も「大学とはこういう場所だ」という共同幻想を共有していただけのような気がするのですが。

学生を、未開花だけれど潜在能力を持っている一人の人間として信頼し、一緒に困難なプロジェクトに取組むというスタンスは、理系の研究室だと当たり前のことでしょう。しかし、文系の先生たちは、そんなふうに学生の能力を捉えるのが苦手なんじゃないかと思っていました。そういう教員たちは、心の底では学生を信頼していません。で、それは学生にすぐに伝わるのです。学生と教員の間の冷え冷えとした関係は、相互不信から生まれてくるのです。

そういう不幸な関係にもとづいた例として、当時の新入生研修があげられます。あまり思い出したくないのですが、当時の新入生研修は、入学間もない新入生を近くの観光地に連れていき、ホテルに缶詰にして、一日中、レクチャーをするという悲惨極まりない内容でした。講義の内容も、「大学生になったからには自己責任が大切です」とか「大学生は真面目に勉強しなければいけない。バイト漬けはいけない」とかなんとかかんとか、そういう説教みたいなものを延々と繰り広げるのです。

これは、新入生を瞬時に大学に対して失望させるためのとってもよい方法だなあと心底思っていました。で、新入生たちは、こうした講義を聞きながらあっという間に爆睡です。そして、夜になると目が爛々として、みんなが深夜徘徊を繰り返す。。。で、教員たちは夜回りをして、うろうろしている学生を捕まえてまた説教をするという。。。

僕自身は、自分のゼミに所属した新入生に対して「こういうのやってられねーよな」といって、一緒にホテルを抜けだしてコンビニに行くという、共犯関係を演出して学生と距離を縮めるテクニックを使えたので、ある意味ありがたかったのでしたが。

それはともかく、当時の僕は新米教員ながら、こういう不幸な研修はいつかやめさせたいと思っていました。「学生を信頼して、一緒に仕事をする中で、もっとよい研修ができるものならしたいな」と。で、ほどなくそういう機会に恵まれます。僕の同級生から「ウチの会社が一橋大学ICS(国際企業戦略科)の面白い研修をやってるんだけど見に来ない」と誘われたことで、その後の僕の教育上のひとつの大転換が訪れるのです。

長くなったので、続きはまた!

学部長が考えるゼミ旅行の重要性

先日、1年〜4年までの私のゼミ生10名と釜山に4泊5日旅行してきました。関釜フェリーを使うので現地では2泊ですが、朝早く到着し、夜に出航するので、向こうではまるまる3日間使えます。フェリーの中も大変快適です。料金も往復1万5千円。ホテルは南浦洞のタワーホテル。激しく老朽化しているのですが、2泊で5万ウォン(3000円)くらいで泊まれてしまいます。今年も楽しい旅行になりました。(写真はこちら


釜山旅行は今年でもう5回目。最初に教えてもらったのは他学部の同僚教員。この人、「僕、遊びの天才やねん」と豪語するくらいで、大学時代は京大山岳部で隊長としてヒマラヤ登頂を繰り返し、今でも全くお金をかけずにヨットや山荘などをどこからか手に入れ、我が物顔で使って遊んでいるという人なのです。5年前にこの人から「山本君、学生連れてフェリーで釜山遊びに行こう。メシが旨いよ」と誘われました。彼、自分の学生に加えてもう少し話し相手になる人間を同行させたかったゆえに僕に話をもちかけたという次第。僕も二つ返事でオーケーです。


さて、実際にゼミ生を連れて釜山に行ってみると、九州からだと、東京よりも大阪よりも近い都市であり、韓国の中でも有数の大都市でありながら韓国の古い部分を残したちょっと懐かしい都市でもあり。誰が「遠くて近い国」なんて言ってたんだ?という感じでした。それは東京から見たらそうかもしれないけれど、九州は昔からとっても近かったのだということがよくわかりました。同行した学生にとっても東京や大阪よりも格安で行ける海外旅行なのです。そして、何よりも確かにメシがうまい! 日本の韓国料理屋で食べられる値段の半分以下で、ものすごくオイシイ韓国料理が食べ放題なのです。いや、当たり前なんですが。


で、その後、僕自身も毎年のように学年混成で学生を連れて釜山に行くようになりました。その際には、本学と提携を結んでいる釜山の東亜大学を見学したり、先方の先生や学生と交流するようにしています。ある年は、韓国の学生の前で、ウチの学生が取り組んでる商店街活性化プロジェクトについてプレゼンした時もありました。そういう機会をちょっと作れば、学生同士はあっという間に打ち解けます。ことばの壁をものともせずにコミュニケーションを交わしていきます。


学生たちのイキイキした顔を見ていると、こうした海外ゼミ旅行って、大学生活において、もしかすると、通常の講義や通常のゼミ以上に重要なのかもしれないと思います。一緒に韓国旅行に行った学生って、その後のゼミや学部内のプロジェクトで必ずと言って良いほどキーパーソンの役割を果たすようになります。旅行中は、毎晩宴会やるわけだから、その時を通じて上の学年が下の学年に僕のゼミのエートスをじっくりと伝える機会でもあるし、僕も腹を割って学生と話ができます。だから、海外ゼミ旅行って、僕にとっても非常に重要なイベントなのです。


僕自身、幸せな大学生活の象徴として強烈に覚えているのは、ゼミ合宿です。例えば、大学2年の時の西欧中世社会史家阿部謹也ゼミ合宿(@中軽井沢)であり、大学3年と4年の参加した言語学者田中克彦ゼミ合宿(@妙高高原)です。いずれも勉強なんてした覚えは全くありません。ただ大学が持ってる保養地とか格安の貸し別荘とかに先生やみんなで遊びに行って、夜通しお酒飲みながら、先生を交えてみんなでひたすら話し込むという合宿でした。それが楽しくて楽しくてしょうがないのです。今でも、当時のメンバーで集まるとゼミ合宿の話は必ず出ます。それくらい、僕たちにとっては、ゼミ合宿というのは重要なしかも当たり前のイベントでした。


僕がゼミ合宿をやるのも、自分が学生時代に経験した幸せなことは、同じことを学生に体験させてやりたいと思うからです。それって、教師だと当たり前の感覚です。


ところが、本学で「先生方、学部時代にどんなゼミ合宿に参加しました?」と聞くと、多くの教員たちは学部時代にゼミ合宿を経験していないのです。大学院生の時にはやったという人はいましたが、それも一日中勉強するという、いわゆる勉強合宿です。これは衝撃でした。自分がうけてきた大学教育は普通のものだと思っていたのが、法学部という学部においてはかなり特殊なことだったと知った瞬間です。


僕がたまたま自分の専攻と関係なく参加したゼミの先生たちは、いずれも当時論壇の売れっ子で、超過密スケジュールを過ごしていた学者たちでした。ところがそんな学者たちが、ぴよぴよ言ってるだけの学部生のためにゼミ合宿を主催し、それにきっちり参加していたとは! しかも、学生たちと同じ目線でいろんなことをしゃべってくれていたのです。さらにいえば、この先生たちは学部1年生から院生まで含めて、おそらく年間で3回から5回はゼミ合宿に行っていたはずです。今更ながら、そのことに気づき、僕が参加したゼミの先生たちは本当に偉かったんだなと頭が下がる思いがしました。


僕の同僚の先生たちの多くは、そういった幸せな学部時代のゼミ合宿を経験していません。学部時代には、先生たちと親しげに話すことなんて恐れ多くてできなかったなんていう人もいました。これでは学生が楽しくならないのは当たり前。ということで、僕は学部長として「ゼミ合宿やったら1ゼミ5万円」というインセンティブを設けることにしました。最近は学生も苦学生が多く、ゼミ合宿は費用面から見て無理だという話もたくさんあったからです。したがって、ゼミ合宿にインセンティブを設けるというのはかなり好評でした。ま、ある意味、子ども手当みたいなものですから、好評なのは当然なのですが。


とはいえ、そんな妙なインセンティブをつけたとしても、ゼミ合宿の重要性にはかわりありません。今まで学生を合宿に連れていってた先生たちは喜びます。中には、今までゼミ合宿なんて行ったことないけれど、費用の一部負担があるなら学生に声をかけやすいし、いっちょ行ってみようか、と腰をあげる先生たちが出てきたことです。学生にとっても、ゼミ合宿というのは、行くまでは気が重いが行ってしまうとものすごく楽しいものです。それは僕自身がそうだったのでよくわかります。


そろそろ話をまとめることにしましょう。ゼミ合宿というのは日本のすべての大学ですべての教員が行うべき非常に重要な通過儀礼ではないかと思います。大人の集団として、自由な雰囲気の中で、みんなで合宿に行くという経験をすることで、自分も一歩、大人に近づいたような気になれるからです。ところが、今の大学改革に関する様々な議論の中で、「ゼミ旅行を大学教員がやること」とか「すべての学生が海外の学生との交流を行うこと」といった意見は、僕は全く聞いたことがありません。不思議です。


僕は、教育の再生は「体験・経験」がひとつの鍵だと考えています。「学問なき経験は、経験なき学問に勝る」というイギリスの諺もあります。理科系を中心として導入が進んでいるPBL(Project Based Learning)だけでなく、様々な体験を教育プログラムに組み込むことは大学教育の再生において重要な役割をはたすはずです。この点について、きちんとした議論があれば、ぜひ、みなさま教えて下さいませ。

学部長、横断会議を開催する

以前の記事で、学部長は学部の教員と切り離され、非常に孤独感を感じているということを書きました。学部長が出席する会議の数々は、どれだけ参加してもちっとも学部の改革につながりません。また、学部長が議長である教授会は、審議事項、報告事項をこなすだけで時間があっという間に過ぎてしまいます。つまり、大学の制度の中に、学部にとって「本当に大切なこと」をみんなで議論する場って、全くないんだと改めて実感したのです。

多くの場合、大学のほとんどの会議体は「審議」→「承認」という意思決定のプロセスの一つに位置づけられています。つまり、大学の会議というのは、ピラミッド型の組織の中にあるのです。すべての会議は意思決定の一部を担いますが、最終的な責任は追わないという、まさに「官僚制」の典型です。大学が役所以上に役所的であるのは、こんなところにも原因があるのでしょう。

「会議とは議論をする場ではなく意思決定をする場だ」と主張されたのはトリンプの元社長の吉越浩一郎さんではなかったかと思いますが、大学の正式な会議体はそういう役割を果たしていません。かといって、『発想する会社』のようなアイディアを出すための会議もめったに行われることがありません。

そこで、僕は学部長就任直後に「法学部横断会議」と称し、すべての法学部教員が任意で参加し、フリートーキングを行う会議を開催しました。部署や委員をこえた情報や課題の共有を行い、学部の改革をみんなで考えようという目的のためです。この会議は、これまで半年に1回くらいのペースで開催し続けています。

この会議、結論からいうと、僕にとってはものすごく意義深いものになっています。会議のテーマは、「学部の課題」「授業改革」「学部の中期計画」「中教審答申」などなどその時によって様々ですが、基本的には、教員の参加は自由、発言も自由。いつも半数以上の教員、多いときは3分の2以上の教員が参加します。で、この会議になったとたん、先生たちの本音が炸裂します。大学改革に対する考え方、学生に対する考え方、文科省に対する気持ち等々、どのテーマでも収集がつかないほど多様な意見が出ます。前向きな意見、後ろ向きな意見、みなさん様々です。

ご承知の通り、法学部というのは文系の中では最も保守的な学部かもしれません。今週のエコノミストの特集「娘、息子を通わせたい大学 広がる大学の「教育力格差」」でも取り上げられているように、文系の中では法学部は初年次教育の導入について消極的なところが多いようです(理系だと理学部だそうです。きっと物理学科とかは特にそうでしょうね)。実際、法学部の先生たちの話を聞くと、今の大学改革の方向性と大きくずれていることが多いのです。それは、知的伝統の堅持といった視点から見ると、決して悪いことではないのかもしれませんが、しかし、現実と自分たちが望ましいと思っている学生像とのギャップは非常に大きいわけです。

僕自身は、法律学が専門ではないので、法律学の先生たちの思考様式は、僕にとっては未知の世界でした。というか、驚愕の連続でした。例えば、法律学の先生たちの学習観・教育観は、かなり独特です。「教科書は3回読まなきゃわからないものなんだ」と、「読書百遍意自ずから通ず」を地で行くような勉強が法律学の勉強法だと言われたときには(しかも多くの法律学の教員たちがそれに同意します)、心底びっくりしました。

そういう考えを持った先生たちの意見が噴出するわけですから、この会議が終わってしばらくは脱力して動けない時もあります。でも、実は、2年間にわたって行われてきた改革のうち、非常に重みのある改革は、実はこの会議から生まれているのです。

例えば「講義の私語対策」。どこの大学でも悩みの種だと思いますが、ウチのような小規模大学でもこの問題は多かれ少なかれあります。この会議で、ある年配の先生が「友達と一緒に座るから私語するんだ。友達と一緒に座るのは禁止してしまえばいい」と言いました。その時は、みんな「そりゃ無理でしょ」とか「自由な大学にあるまじき学生管理の方法だ」という反応だったし、僕自身も「先生、そりゃ暴論ですな」と思いました。

ところが、実は、今年度から法学部で多くの授業で実施されているのは、「座席指定制」なのです。1年後に、学部として制度化された改革のひとつは、この会議から出てきたものでした。

たしかに、座席指定を行うと私語はてきめん減少します。あまりの変化に私語に悩んでいた教員はびっくりするくらいです。さらに言えば、座席指定制は教員にとって都合が良いだけではありません。まだデータを確認していないのですが、座席指定を導入した授業の学生評価アンケートの数値は、どれもかなり上がっている模様です。要は、授業で静粛な環境を維持してもらいたいという学生のニーズに答える実践的な解決策が、「座席指定」だったということです。

この「座席指定制」、学内の他学部から見てもちょっと奇異な感じを受けているようです。でもこうしたドラスティックな改革案は、実は、僕が主導で出しているのではなく、法学部横断会議で出された本音ベースの突飛な意見を、いったんは寝かせておいて、その意味合いがはっきりつかめたところで、教授会で再度議論するなかで形となったものなのです。

こうした例は他にもたくさんあります。「学生データをより細かく管理し、分析する必要がある」といった当たり前の、だけど、ちゃんと出来てなかった指摘とか、「付属高校と高大連携をもっとやるべき」とか、「学生は法律学をこんな風に理解出来ていない」とか「学生の学力格差は何に由来するのか」などなど、枚挙にいとまがありません。

一つ一つはちょっとしたことなのですが、それらの意見が集積されていくことで、法学部の現状認識や課題の輪郭がしだいにくっきりとしていきます。改革案が第三者から見ればあまりに突飛なもののように見えても、実は法学部の中では筋道が通っていることが多いのです。本音ベースのフリートーキングによる収拾のおさまらない会議は、結果として、「課題発見」の会議だったのです。

学部長、高校訪問に行ってみた

「高校訪問」と聞いて、大学関係者の方々、どう思いますか? ウチでもやってるとか、あれはキツいとか、あんなこと今すぐ止めるべしとか、いろんな意見があることでしょう。実は、僕のオヤジも大学教員でして(実は学部長経験者なのでそのへんはまたおいおい話題に出していくと思います)、今は地元の国立大学を定年退官して、とある私大に勤務しているのですが、先日は高校訪問のために沖縄出張を命じられたとのことで、沖縄巡りをしていたようです。おお、老体になんたる過酷なミッション。70歳近い国立大学定年組の教員に炎暑の沖縄出張を命じるとは、なんて肝がすわった大学なんだ。その大学に心から尊敬の念を持ちました。いや皮肉でも冗談でもなく本当です。閑話休題

僕も最初に、大学の教員が高校を訪問するんだと聞いたときはぎょっとした覚えがあります。でも、ぼやぼやしてると他大学や専門学校に進学していきますから、一人でも多くの生徒を大学に「送って」もらうために高校の先生たちにお願いをするのです。

ところで、今、うちの大学は教員の高校訪問は行ってません。これには理由がいくつかありますし、それに伴うメリットとデメリットが当然あります。かつては、教員による高校訪問はやってました。僕自身もこの大学に来て3年目ぐらいに広報委員として、飯塚周辺の高校を5〜6校訪問したことがあります。

その時の高校訪問の基本はアポなしでした。アポなしの理由は、一日あたりにできるだけ多くの高校を回るためです。大学から渡された資料を山ほど持ってタクシーに乗り込み、「◯◯高校に行ってください」と運転手さんに頼みます。高校についたら、運転手さんにそのまましばらく待ってもらい、受付を通って進路指導室に行きます。たまたま進路指導の先生がいればラッキーだし、そうじゃない場合は、誰か先生が対応してくれることが多いです。

僕「はじめまして。突然訪問して申し訳ありません」
高校の先生「いえいえ。遠いところお疲れ様です」
僕「実は、大学のパンフレットを持ってまいりました。今年も一人でも多くの生徒を送っていただけるよう、宜しくお願いいたします」
高校の先生「はいはい、わかりました。ではパンフレットはそこに置いておいてください」
僕「。。。」
高校の先生「。。。本日はお疲れ様でした」
僕「では、失礼します」

こうしてすごすごと校舎を出て、待たせてあったタクシーに乗り込み、次の高校に向かいます。最短だと所要時間10分ぐらい。もう少し親切な先生だと、「今、おたくの大学の就職率はどれくらいなんですか?」とか話題を振ってくれます。そうするとこちらは、「えっと、その数字については、パンフレットのこのあたりに載ってるのですが。。」などと、よく知らないながらもなんとか説明をします。きちんと準備する時には、その高校出身の学生の状況(ゼミの様子とか単位修得状況とか内定先とか)の一覧を持っていく場合もあります。ただし、進路指導の先生といえども卒業生をみんな知っているわけではないため、これで話が弾む可能性があるのは五分五分です。


かつてうちの大学でやっていたこの方法、営業のプロがみれば、鼻で笑うようなレベルでしょう。以前、ソフトブレーン創業者である宋文洲さんの公演をとある会合で偶然聞くことがありました。「ルートセールスは最もバカな営業のやり方です」と彼が語るのを聞いて「やっぱそうだよなあ」と思いました。また、僕の知り合いにも営業のプロがいるのですが、彼も「一日あたりの訪問数をできるだけ絞ることが重要」「準備に十分時間をかけることが重要」と言っています。

今から考えても、僕がやっていた営業スタイルは最悪だったと思います。パンフを渡すなら郵送で十分です。高校の先生側からすれば、一日いったい何校の訪問があるか考えてくれよ、と文句の一つもいいたかったでしょう。

さて、ここまでが長い前フリでした。僕は、学部長になってすぐに、宋文洲さんや僕の知り合いが言っているような方法で高校訪問をすべきだなと思いました。それに、大学内部にいても寂しくて会議の連続で息が詰まるから(笑)そこで、入試広報室や入試広報委員に、周辺の高校10校ほどを訪問したいとお願いをしました。最大4時間の時間を1週間のうち1日確保した上で、一日あたり1件か2件、進路指導の先生にアポを取ってもらいました。

こうしてアポをとってもらった高校にいよいよ高校訪問スタートです。進路指導の先生にには、「大学の役割がかつてとは明らかに変わってきた。本学ではモチベーションや人間関係の構築を教育の根本として捉えるべきだと考えています」というと、高校の先生たちにとっても、生徒のモチベーションを引き上げることは大きな課題であり、そこは高校と大学で連携することができるんじゃないだろうか、などという話が弾みます。

その結果、ある高校では90分、別の高校では120分、とある高校では45分というように、どの高校でも長時間にわたって情報交換したり、議論したりすることができたのです。ある高校では「わざわざアポとって来てくれる学校はなかなかない」と歓迎してくれたほどです。

その時の高校の先生たちのコメントを少し内容を変えながらも紹介してみましょう。

「実情からして、大学に入っても困るだろうなあと思う生徒が大学に行くようになったのは確かだ。その意味では、大学は大変だろうなあと思う」

「実際に、自分達が教えていても、生徒をこちらに振り向かせること自体に労力を傾けている。」

「以前は、「やる気がないやつは自分の授業を聞くな」という態度で授業をしていたし、生活指導も上からがんとやっていた。生徒の目線に降りて話をするということは「本来、高校教員がやるべきことではない」と考えていた。しかし、それではやはりだめだということに気づき、ここ数年は、生徒の目線に降りるようにしてきた。」

「このように、高校、大学の実情を率直に話し合えることができたのは、今までになかった。お互いの苦労がわかったし、大学の努力の方向性もわかった。進学説明会などでは伝わらなかった部分がしっかりと伝わった」などなど。

もちろん、こんなに好意的なコメントをくれる高校ばかりではないです。ある高校のベテランの進路指導の先生は次のような手厳しい話をしてくれました。

「おたくの大学には、かつて20名単位で受験生が出ていたけど、今はほとんど他大学に行っています。なぜだかわかりますか? そうなった理由は、退学者が多いことですよ。うちの卒業生がどんどん退学していったんです。退学した卒業生は、高校に遊びに来て、実情をよく話してくれました。生徒達は口コミで情報をよく聞いています。大学入学直後の講義の様子(私語等)や、レベル等がひどいと聞きました。他の大学に進学した卒業生は退学しないんです。楽しそうにしています。」「どこの大学も教員が高校訪問をして、新しいカリキュラムの構想、新たな取り組み等を相談していきます。おたくの大学だけがずっと教員が訪問してきてませんでした。ここ数年、大学が完全に止まっていたという印象を受けてます。」

こんなコメントを聞いて、僕は恥じ入るばかりでした。最後に、進路指導の先生は、「本当は、おたくは地元の大学なんだから、生徒をすすめたいのはやまやまなんです。今回のように、教員が高校に来るようになったことだし、これからがんばってほしいと思います」と激励してくださいました。

結局、この先生のコメントは2年後もずっと頭に残っています。大学の学部長に対して、ここまで厳しい本音のコメントをくれる高校の先生がほかにいるでしょうか? 進学説明会で大学の役職者が前にずらっと並んでるような場所では絶対に聞けないようなコメントです。

前回の記事で言ったように、このような高校の先生の考え方は、入試広報員会や役職者が参加する会議で紹介されることはまずありません。それまで、退学者問題が大学の評判と直結しているんだと認識していた人は、大学役職者では皆無でした。みんな、退学者問題は「財務リスク」の問題だと思っていて、「信用リスク」の問題だと認識していなかったのです。ですが、僕があちこちの会議でこの話をすると、みんながしんと黙り込むくらい、この先生の話はインパクトがありました。結局、この先生のコメントから、大学全体が退学者対策に本気で取組むことにつながったともいえます。

このような個人的な体験からいえることは、高校訪問とは、若手の先生に行ってもらうのではなく、大学改革の重要な役割を担っている教員や役職者が行くべきだと、僕は思っています。その際、重要なポイントはつぎの5つでしょう。

・ 高校には事前にアポイントメントをとって訪問すべし。
・ 大学や学部のビジョンや改革にかける思い等、責任者が語れることを述べるべし。
・ 心を開き、誠実に、しかも強い意志と責任感をもって、大学や学部の方針を語るべし。
・ お互いの「教育論」をぶつけ合える関係づくりを目指すべし。
・ 高校の先生の話には大学改革の重要なヒントが多く含まれていると気づくべし。

結局、大学の先生と高校の先生にとって、共通の話題は「教育論」になのです。たとえば、うちの大学だと、偏差値40前後の大学に来る学生を目の前にして、大学がどのような教育を行おうとしているのかを真剣に考えているんだという話をすれば、必ず高校側には強い印象を残せる議論ができるはずです。

さて、話が長くなりました。そろそろ僕も再び高校訪問をしないといけないような気がしてきました。進路指導担当が変わっていなければ、2年前にお会いした先生方と再びお会いして、「法学部は2年間でここまで変わりました。まだまだ頑張ります」という報告をしたいものです。

学部長はあっという間に無能化する

学部長になってみてはじめて分かったこと。それは、学部長はとっても孤独だってことです。今までは研究棟にいて、何かあれば他の先生のところに遊びに行ったり、コミュニケーションをとることが簡単にできていました。ところが、学部長室は事務棟にあるので、他の先生たちと関係が切り離されてしまうのです。最初は非常に孤独感を感じました。事務棟には学部事務室ってのもあるのですが、職員は学生対応で忙しく、僕の話相手になってくれる人も当時はほとんどいませんでした。

ウチのような小さな大学では、教員や職員との個人的なネットワークって結構重要です。第一に、様々な学内情報は教職員の非公式なネットワークを通じてあっという間に伝達されていきます。第二に、何か新しいことを仕掛けようとするときも、こうした人間関係のネットワークを通じて、事前の感触をつかみながら、計画を磨き上げていくことができます。コンセンサス作りにおいても、このネットワークがものを言います。極端なハナシ、正式なチャンネルではなく、非公式ネットワークを通じて、トップをうまく説得し、自分がやりたいことを実現することも可能です。

そのためには、普段から頻繁に休憩所で会っているとか、研究室が近いとか、事務部署が立ち入りやすいとか、実はよく一緒に飲みに行く関係だとか、そういうことって大切です。現在、学務事務室で法学部をサポートしてくれている辣腕職員は、以前大学院事務室にいましたが、それは僕の研究室と同じフロアだったので、よく雑談しに行っていたものです。そういう「ウマが合う」者どうしの日常的な人間関係が折り重なる中で、重要な情報が現場に近い場所で学内を流通しているのです。

これは、悪く言えば人的関係が幅を利かせているという意味で、「古きよきニッポン株式会社」的な現象かもしれません。逆に、非公式な人的ネットワークこそが、新たな組織内イノベーションを起こすうえでの不可欠の条件だと捉えることもできるでしょう。僕は、非公式ネットワークを後者の意味として積極的に捉えたいと思います。

逆に、変な話ですが、公式のチャンネルでは有益な情報がほとんど伝達されません。これは、ウチのように苦境に立たされている大学や組織は多かれ少なかれ同じ問題を抱えていると思います。部署の正式なルートを経由し、会議体で提出される情報は、何かに対応するための規定の改正や手続きが主です。「組織改編を行うので、規定を次のように変えます」とか「次のようなプロセスで◯◯という事業を進めたいと思います」とか。それに対して会議の出席者はああだこうだといちゃもんを付けたり、あれこれ質問をして、その内容について「承認」するか「反対」するかのどちらかです。

だから、例えば、正式な会議の場所で「ネットで話題のtwitterはウチで使ってみる意義はあるだろうか?」とか「Youtubeのアカウントを取って動画をどんどんアップしていったほうが良いのではないか?」とか「大学を良くしていくために必要なことはなんだろうか?」といった、「実質的な議論」が行われることはまずありません。これは日本の議会政治の状況と全く同じですよね。

ある省庁出身の学者は「大学とは役所よりもさらにお役所的なところである」と言っていました。大学とは、すべての業務が「規定」に則って行われるところであり、「規定にない」ことをやるためには、公式には「規定の改正か制定」が必要になるのです。つまりは前例踏襲主義であり、新たな試みにチャレンジしようという冒険心は排除されます。その中で、これまでなんとかバランスを取ってきたのが、実は、非公式ネットワークなのだと僕は思っています。

ところが、学部長になった途端に、そういう非公式ネットワークと縁遠くなってしまいます。今まで日常的に親しく会話をしていた人たちと、1週間まるまる顔を合わせることがない。これは寂しすぎる。僕は真剣に、「この時間はあらゆる教員が自由にあそびにきてお茶を飲んで雑談してください」という学部長オフィスアワーをつくろうかと思ったくらいです。

そして、学部長の学内コミュニケーションを阻害する最大の問題は、出席すべき会議の多さです。学部長オフィスアワーも、あまりの会議の多さに実現不可能です。学部長になった途端に、理事会、法人運営会議、評議会、大学運営協議会、評議員会、人事審議会、全学人事委員会、入試広報委員会、スポーツ政策委員会、教授会、大学改革特別委員会、その他思い出せないけど何やらかんやらの会議に出席しなくてはなりません。ひどい時は、1日に会議が4つ以上入ります。で、そのうち3つの会議で同じ資料を見るハメになるということすらあるのです。

これでは、学部長は会議にでてるだけで一日が終わってしまいかねません。「あ〜、今日もたくさんの会議に出て疲れたなあ」と、何かそれだけで仕事をした気になってしまうのです。ああ、恐ろしい。実は全く生産的な活動をしてないのですが。しかも、その会議には、大学を改革するうえで必要となる情報はほとんど出てきません。さらに、会議で合わせる顔はほとんど同じメンバーなのです。こうした日々を送ってしまうと、学部長および役職者全員が、現場から遊離し、その結果あっという間に無能化するのは、ある意味当然と言えるでしょう。

こうした会議の連続は人の思考を奪うだけでなく、前向きな姿勢をも奪います。そこで、僕はこうした問題から逃れるための方法を考えました。まず「自分が出なくてもよい会議には出ない」ことです。単なる形式的な会議は、すべてキャンセルです。もうひとつは「自分の目で現場を見て、教員の声を聞き、教員と議論を行ない、さらに、学生の声を聞くこと」です。そのために、「法学部横断会議」を不定期で開催することにしました。もう一つが、学部横断的な「初年次プロジェクト」を発足させることでした。

すでに記事が長くなってしまったので、これらについては、次回以降でお話することにしましょう。