学部長はあっという間に無能化する

学部長になってみてはじめて分かったこと。それは、学部長はとっても孤独だってことです。今までは研究棟にいて、何かあれば他の先生のところに遊びに行ったり、コミュニケーションをとることが簡単にできていました。ところが、学部長室は事務棟にあるので、他の先生たちと関係が切り離されてしまうのです。最初は非常に孤独感を感じました。事務棟には学部事務室ってのもあるのですが、職員は学生対応で忙しく、僕の話相手になってくれる人も当時はほとんどいませんでした。

ウチのような小さな大学では、教員や職員との個人的なネットワークって結構重要です。第一に、様々な学内情報は教職員の非公式なネットワークを通じてあっという間に伝達されていきます。第二に、何か新しいことを仕掛けようとするときも、こうした人間関係のネットワークを通じて、事前の感触をつかみながら、計画を磨き上げていくことができます。コンセンサス作りにおいても、このネットワークがものを言います。極端なハナシ、正式なチャンネルではなく、非公式ネットワークを通じて、トップをうまく説得し、自分がやりたいことを実現することも可能です。

そのためには、普段から頻繁に休憩所で会っているとか、研究室が近いとか、事務部署が立ち入りやすいとか、実はよく一緒に飲みに行く関係だとか、そういうことって大切です。現在、学務事務室で法学部をサポートしてくれている辣腕職員は、以前大学院事務室にいましたが、それは僕の研究室と同じフロアだったので、よく雑談しに行っていたものです。そういう「ウマが合う」者どうしの日常的な人間関係が折り重なる中で、重要な情報が現場に近い場所で学内を流通しているのです。

これは、悪く言えば人的関係が幅を利かせているという意味で、「古きよきニッポン株式会社」的な現象かもしれません。逆に、非公式な人的ネットワークこそが、新たな組織内イノベーションを起こすうえでの不可欠の条件だと捉えることもできるでしょう。僕は、非公式ネットワークを後者の意味として積極的に捉えたいと思います。

逆に、変な話ですが、公式のチャンネルでは有益な情報がほとんど伝達されません。これは、ウチのように苦境に立たされている大学や組織は多かれ少なかれ同じ問題を抱えていると思います。部署の正式なルートを経由し、会議体で提出される情報は、何かに対応するための規定の改正や手続きが主です。「組織改編を行うので、規定を次のように変えます」とか「次のようなプロセスで◯◯という事業を進めたいと思います」とか。それに対して会議の出席者はああだこうだといちゃもんを付けたり、あれこれ質問をして、その内容について「承認」するか「反対」するかのどちらかです。

だから、例えば、正式な会議の場所で「ネットで話題のtwitterはウチで使ってみる意義はあるだろうか?」とか「Youtubeのアカウントを取って動画をどんどんアップしていったほうが良いのではないか?」とか「大学を良くしていくために必要なことはなんだろうか?」といった、「実質的な議論」が行われることはまずありません。これは日本の議会政治の状況と全く同じですよね。

ある省庁出身の学者は「大学とは役所よりもさらにお役所的なところである」と言っていました。大学とは、すべての業務が「規定」に則って行われるところであり、「規定にない」ことをやるためには、公式には「規定の改正か制定」が必要になるのです。つまりは前例踏襲主義であり、新たな試みにチャレンジしようという冒険心は排除されます。その中で、これまでなんとかバランスを取ってきたのが、実は、非公式ネットワークなのだと僕は思っています。

ところが、学部長になった途端に、そういう非公式ネットワークと縁遠くなってしまいます。今まで日常的に親しく会話をしていた人たちと、1週間まるまる顔を合わせることがない。これは寂しすぎる。僕は真剣に、「この時間はあらゆる教員が自由にあそびにきてお茶を飲んで雑談してください」という学部長オフィスアワーをつくろうかと思ったくらいです。

そして、学部長の学内コミュニケーションを阻害する最大の問題は、出席すべき会議の多さです。学部長オフィスアワーも、あまりの会議の多さに実現不可能です。学部長になった途端に、理事会、法人運営会議、評議会、大学運営協議会、評議員会、人事審議会、全学人事委員会、入試広報委員会、スポーツ政策委員会、教授会、大学改革特別委員会、その他思い出せないけど何やらかんやらの会議に出席しなくてはなりません。ひどい時は、1日に会議が4つ以上入ります。で、そのうち3つの会議で同じ資料を見るハメになるということすらあるのです。

これでは、学部長は会議にでてるだけで一日が終わってしまいかねません。「あ〜、今日もたくさんの会議に出て疲れたなあ」と、何かそれだけで仕事をした気になってしまうのです。ああ、恐ろしい。実は全く生産的な活動をしてないのですが。しかも、その会議には、大学を改革するうえで必要となる情報はほとんど出てきません。さらに、会議で合わせる顔はほとんど同じメンバーなのです。こうした日々を送ってしまうと、学部長および役職者全員が、現場から遊離し、その結果あっという間に無能化するのは、ある意味当然と言えるでしょう。

こうした会議の連続は人の思考を奪うだけでなく、前向きな姿勢をも奪います。そこで、僕はこうした問題から逃れるための方法を考えました。まず「自分が出なくてもよい会議には出ない」ことです。単なる形式的な会議は、すべてキャンセルです。もうひとつは「自分の目で現場を見て、教員の声を聞き、教員と議論を行ない、さらに、学生の声を聞くこと」です。そのために、「法学部横断会議」を不定期で開催することにしました。もう一つが、学部横断的な「初年次プロジェクト」を発足させることでした。

すでに記事が長くなってしまったので、これらについては、次回以降でお話することにしましょう。