学部長、横断会議を開催する

以前の記事で、学部長は学部の教員と切り離され、非常に孤独感を感じているということを書きました。学部長が出席する会議の数々は、どれだけ参加してもちっとも学部の改革につながりません。また、学部長が議長である教授会は、審議事項、報告事項をこなすだけで時間があっという間に過ぎてしまいます。つまり、大学の制度の中に、学部にとって「本当に大切なこと」をみんなで議論する場って、全くないんだと改めて実感したのです。

多くの場合、大学のほとんどの会議体は「審議」→「承認」という意思決定のプロセスの一つに位置づけられています。つまり、大学の会議というのは、ピラミッド型の組織の中にあるのです。すべての会議は意思決定の一部を担いますが、最終的な責任は追わないという、まさに「官僚制」の典型です。大学が役所以上に役所的であるのは、こんなところにも原因があるのでしょう。

「会議とは議論をする場ではなく意思決定をする場だ」と主張されたのはトリンプの元社長の吉越浩一郎さんではなかったかと思いますが、大学の正式な会議体はそういう役割を果たしていません。かといって、『発想する会社』のようなアイディアを出すための会議もめったに行われることがありません。

そこで、僕は学部長就任直後に「法学部横断会議」と称し、すべての法学部教員が任意で参加し、フリートーキングを行う会議を開催しました。部署や委員をこえた情報や課題の共有を行い、学部の改革をみんなで考えようという目的のためです。この会議は、これまで半年に1回くらいのペースで開催し続けています。

この会議、結論からいうと、僕にとってはものすごく意義深いものになっています。会議のテーマは、「学部の課題」「授業改革」「学部の中期計画」「中教審答申」などなどその時によって様々ですが、基本的には、教員の参加は自由、発言も自由。いつも半数以上の教員、多いときは3分の2以上の教員が参加します。で、この会議になったとたん、先生たちの本音が炸裂します。大学改革に対する考え方、学生に対する考え方、文科省に対する気持ち等々、どのテーマでも収集がつかないほど多様な意見が出ます。前向きな意見、後ろ向きな意見、みなさん様々です。

ご承知の通り、法学部というのは文系の中では最も保守的な学部かもしれません。今週のエコノミストの特集「娘、息子を通わせたい大学 広がる大学の「教育力格差」」でも取り上げられているように、文系の中では法学部は初年次教育の導入について消極的なところが多いようです(理系だと理学部だそうです。きっと物理学科とかは特にそうでしょうね)。実際、法学部の先生たちの話を聞くと、今の大学改革の方向性と大きくずれていることが多いのです。それは、知的伝統の堅持といった視点から見ると、決して悪いことではないのかもしれませんが、しかし、現実と自分たちが望ましいと思っている学生像とのギャップは非常に大きいわけです。

僕自身は、法律学が専門ではないので、法律学の先生たちの思考様式は、僕にとっては未知の世界でした。というか、驚愕の連続でした。例えば、法律学の先生たちの学習観・教育観は、かなり独特です。「教科書は3回読まなきゃわからないものなんだ」と、「読書百遍意自ずから通ず」を地で行くような勉強が法律学の勉強法だと言われたときには(しかも多くの法律学の教員たちがそれに同意します)、心底びっくりしました。

そういう考えを持った先生たちの意見が噴出するわけですから、この会議が終わってしばらくは脱力して動けない時もあります。でも、実は、2年間にわたって行われてきた改革のうち、非常に重みのある改革は、実はこの会議から生まれているのです。

例えば「講義の私語対策」。どこの大学でも悩みの種だと思いますが、ウチのような小規模大学でもこの問題は多かれ少なかれあります。この会議で、ある年配の先生が「友達と一緒に座るから私語するんだ。友達と一緒に座るのは禁止してしまえばいい」と言いました。その時は、みんな「そりゃ無理でしょ」とか「自由な大学にあるまじき学生管理の方法だ」という反応だったし、僕自身も「先生、そりゃ暴論ですな」と思いました。

ところが、実は、今年度から法学部で多くの授業で実施されているのは、「座席指定制」なのです。1年後に、学部として制度化された改革のひとつは、この会議から出てきたものでした。

たしかに、座席指定を行うと私語はてきめん減少します。あまりの変化に私語に悩んでいた教員はびっくりするくらいです。さらに言えば、座席指定制は教員にとって都合が良いだけではありません。まだデータを確認していないのですが、座席指定を導入した授業の学生評価アンケートの数値は、どれもかなり上がっている模様です。要は、授業で静粛な環境を維持してもらいたいという学生のニーズに答える実践的な解決策が、「座席指定」だったということです。

この「座席指定制」、学内の他学部から見てもちょっと奇異な感じを受けているようです。でもこうしたドラスティックな改革案は、実は、僕が主導で出しているのではなく、法学部横断会議で出された本音ベースの突飛な意見を、いったんは寝かせておいて、その意味合いがはっきりつかめたところで、教授会で再度議論するなかで形となったものなのです。

こうした例は他にもたくさんあります。「学生データをより細かく管理し、分析する必要がある」といった当たり前の、だけど、ちゃんと出来てなかった指摘とか、「付属高校と高大連携をもっとやるべき」とか、「学生は法律学をこんな風に理解出来ていない」とか「学生の学力格差は何に由来するのか」などなど、枚挙にいとまがありません。

一つ一つはちょっとしたことなのですが、それらの意見が集積されていくことで、法学部の現状認識や課題の輪郭がしだいにくっきりとしていきます。改革案が第三者から見ればあまりに突飛なもののように見えても、実は法学部の中では筋道が通っていることが多いのです。本音ベースのフリートーキングによる収拾のおさまらない会議は、結果として、「課題発見」の会議だったのです。