学部長が考えるゼミ旅行の重要性

先日、1年〜4年までの私のゼミ生10名と釜山に4泊5日旅行してきました。関釜フェリーを使うので現地では2泊ですが、朝早く到着し、夜に出航するので、向こうではまるまる3日間使えます。フェリーの中も大変快適です。料金も往復1万5千円。ホテルは南浦洞のタワーホテル。激しく老朽化しているのですが、2泊で5万ウォン(3000円)くらいで泊まれてしまいます。今年も楽しい旅行になりました。(写真はこちら


釜山旅行は今年でもう5回目。最初に教えてもらったのは他学部の同僚教員。この人、「僕、遊びの天才やねん」と豪語するくらいで、大学時代は京大山岳部で隊長としてヒマラヤ登頂を繰り返し、今でも全くお金をかけずにヨットや山荘などをどこからか手に入れ、我が物顔で使って遊んでいるという人なのです。5年前にこの人から「山本君、学生連れてフェリーで釜山遊びに行こう。メシが旨いよ」と誘われました。彼、自分の学生に加えてもう少し話し相手になる人間を同行させたかったゆえに僕に話をもちかけたという次第。僕も二つ返事でオーケーです。


さて、実際にゼミ生を連れて釜山に行ってみると、九州からだと、東京よりも大阪よりも近い都市であり、韓国の中でも有数の大都市でありながら韓国の古い部分を残したちょっと懐かしい都市でもあり。誰が「遠くて近い国」なんて言ってたんだ?という感じでした。それは東京から見たらそうかもしれないけれど、九州は昔からとっても近かったのだということがよくわかりました。同行した学生にとっても東京や大阪よりも格安で行ける海外旅行なのです。そして、何よりも確かにメシがうまい! 日本の韓国料理屋で食べられる値段の半分以下で、ものすごくオイシイ韓国料理が食べ放題なのです。いや、当たり前なんですが。


で、その後、僕自身も毎年のように学年混成で学生を連れて釜山に行くようになりました。その際には、本学と提携を結んでいる釜山の東亜大学を見学したり、先方の先生や学生と交流するようにしています。ある年は、韓国の学生の前で、ウチの学生が取り組んでる商店街活性化プロジェクトについてプレゼンした時もありました。そういう機会をちょっと作れば、学生同士はあっという間に打ち解けます。ことばの壁をものともせずにコミュニケーションを交わしていきます。


学生たちのイキイキした顔を見ていると、こうした海外ゼミ旅行って、大学生活において、もしかすると、通常の講義や通常のゼミ以上に重要なのかもしれないと思います。一緒に韓国旅行に行った学生って、その後のゼミや学部内のプロジェクトで必ずと言って良いほどキーパーソンの役割を果たすようになります。旅行中は、毎晩宴会やるわけだから、その時を通じて上の学年が下の学年に僕のゼミのエートスをじっくりと伝える機会でもあるし、僕も腹を割って学生と話ができます。だから、海外ゼミ旅行って、僕にとっても非常に重要なイベントなのです。


僕自身、幸せな大学生活の象徴として強烈に覚えているのは、ゼミ合宿です。例えば、大学2年の時の西欧中世社会史家阿部謹也ゼミ合宿(@中軽井沢)であり、大学3年と4年の参加した言語学者田中克彦ゼミ合宿(@妙高高原)です。いずれも勉強なんてした覚えは全くありません。ただ大学が持ってる保養地とか格安の貸し別荘とかに先生やみんなで遊びに行って、夜通しお酒飲みながら、先生を交えてみんなでひたすら話し込むという合宿でした。それが楽しくて楽しくてしょうがないのです。今でも、当時のメンバーで集まるとゼミ合宿の話は必ず出ます。それくらい、僕たちにとっては、ゼミ合宿というのは重要なしかも当たり前のイベントでした。


僕がゼミ合宿をやるのも、自分が学生時代に経験した幸せなことは、同じことを学生に体験させてやりたいと思うからです。それって、教師だと当たり前の感覚です。


ところが、本学で「先生方、学部時代にどんなゼミ合宿に参加しました?」と聞くと、多くの教員たちは学部時代にゼミ合宿を経験していないのです。大学院生の時にはやったという人はいましたが、それも一日中勉強するという、いわゆる勉強合宿です。これは衝撃でした。自分がうけてきた大学教育は普通のものだと思っていたのが、法学部という学部においてはかなり特殊なことだったと知った瞬間です。


僕がたまたま自分の専攻と関係なく参加したゼミの先生たちは、いずれも当時論壇の売れっ子で、超過密スケジュールを過ごしていた学者たちでした。ところがそんな学者たちが、ぴよぴよ言ってるだけの学部生のためにゼミ合宿を主催し、それにきっちり参加していたとは! しかも、学生たちと同じ目線でいろんなことをしゃべってくれていたのです。さらにいえば、この先生たちは学部1年生から院生まで含めて、おそらく年間で3回から5回はゼミ合宿に行っていたはずです。今更ながら、そのことに気づき、僕が参加したゼミの先生たちは本当に偉かったんだなと頭が下がる思いがしました。


僕の同僚の先生たちの多くは、そういった幸せな学部時代のゼミ合宿を経験していません。学部時代には、先生たちと親しげに話すことなんて恐れ多くてできなかったなんていう人もいました。これでは学生が楽しくならないのは当たり前。ということで、僕は学部長として「ゼミ合宿やったら1ゼミ5万円」というインセンティブを設けることにしました。最近は学生も苦学生が多く、ゼミ合宿は費用面から見て無理だという話もたくさんあったからです。したがって、ゼミ合宿にインセンティブを設けるというのはかなり好評でした。ま、ある意味、子ども手当みたいなものですから、好評なのは当然なのですが。


とはいえ、そんな妙なインセンティブをつけたとしても、ゼミ合宿の重要性にはかわりありません。今まで学生を合宿に連れていってた先生たちは喜びます。中には、今までゼミ合宿なんて行ったことないけれど、費用の一部負担があるなら学生に声をかけやすいし、いっちょ行ってみようか、と腰をあげる先生たちが出てきたことです。学生にとっても、ゼミ合宿というのは、行くまでは気が重いが行ってしまうとものすごく楽しいものです。それは僕自身がそうだったのでよくわかります。


そろそろ話をまとめることにしましょう。ゼミ合宿というのは日本のすべての大学ですべての教員が行うべき非常に重要な通過儀礼ではないかと思います。大人の集団として、自由な雰囲気の中で、みんなで合宿に行くという経験をすることで、自分も一歩、大人に近づいたような気になれるからです。ところが、今の大学改革に関する様々な議論の中で、「ゼミ旅行を大学教員がやること」とか「すべての学生が海外の学生との交流を行うこと」といった意見は、僕は全く聞いたことがありません。不思議です。


僕は、教育の再生は「体験・経験」がひとつの鍵だと考えています。「学問なき経験は、経験なき学問に勝る」というイギリスの諺もあります。理科系を中心として導入が進んでいるPBL(Project Based Learning)だけでなく、様々な体験を教育プログラムに組み込むことは大学教育の再生において重要な役割をはたすはずです。この点について、きちんとした議論があれば、ぜひ、みなさま教えて下さいませ。