警察官という職業とは何か?

学期中はほとんど記事が書けないくらい忙しい毎日でした。春休みに入って、ふとエアポケットのようにスケジュールが空くときがあります。そんな時に、久しぶりの記事を書こうと思います。

さて、わが大学は、昔から警察官を多数輩しています。学生数も1学年600名と少ないわけですが、全国警察官合格ランキングにも登場するくらいだし。福岡県警にはOBが300名を超えるくらい在職中だそうです。

そして、警察官は公務員という地位だけに、学生の間でもますます人気が高まっています。他大学でも、警察官合格をうたっているところは増えてきています。ところが、警察官をどう育成するかということになると、多くの大学ではエクステンションセンターの「公務員講座」受講特典というレベルを踏み出せていません。筆記試験、小論試験、体力試験、面接、といった採用プロセスがある以上、警察官に合格するための一番の道は試験対策と思っている人も多いでしょう。そのため、専門学校で勉強すれば、警察官に合格すると思っている人があまりにも多いようです。

ところが、こうした考え方を警察自体は歓迎しているとは思えません。最近、採用試験のうち筆記試験のウェイトを軽くして、面接重視に移行している県警が増えてきているのがその証拠です。専門学校で筆記試験対策だけやってた人には、警察官になってもらいたくないのです。筆記試験だけクリアしても、警察官として生きる覚悟がないと、警察学校で脱落してしまいますし、そういう学生は警察官になりたいという「覚悟」や「意志」が足りないという声も聞きます。

では、警察官になるためには、「覚悟」だけでよいのでしょうか? その他、必要な能力とか実務的知識などは存在するのでしょうか? 本学でも、元警察官の実務家を本学では特任教授として招聘しています。外部の方から「捜査術とか逮捕術とかを教えるのか?」なんて聞かれることもあります。しかし、それはありえません。

もともと、僕は「公務員専門学校に通ったって、学力や適性のない人間が警察官になれるわけがない」と直感的に思っていました。最近、その理由がはっきりとわかりました。それは、端的に言えば、警察官とはスペシャリストではなくジェネラリストだからです。福岡県警には1万1千人の警察官がいます。そして、警察が日本の大組織である以上、典型的な日本の雇用制度となっています。つまり、警察官とは、日本の典型的な企業の社員と同じキャリアパスを歩むのです。

これは本学の卒業生を見てもわかります。警察官となって卒業後、まずは現場の交番勤務・駐在所を5〜6年、拘置所担当等を経て昇進し、自分が希望する刑事課とか、交通課、あるいは生活安全課などに配属されます。そこで一旦、キャリアを積み重ねていくわけですが、その後、本人が優秀であればあるほど、本人の希望とは別の部署に移動させられる可能性が高まります。「刑事になりたい」と思って警察に入ったとしても、40代には「総務に行け」とか「別の県警に出向せよ」とかあるいは「県庁に出向せよ」といった、いわゆる管理職への道が待っています。

例えば、刑事部と総務部では仕事に天と地ほどの差があります。あるいは刑事部と生安部でも考え方は全く逆といってよいほどです。部署ごとに大きく仕事の性質が異なるなかで移動していくわけですから、仕事はOJTで覚えます。どれだけたくさんの部署を経験し、どれだけたくさんの新しい仕事をこなすかが、本人の成長と大きく関わります。これこそ、日本型組織で働くジェネラリストの典型的なキャリアパスです。

こうしたキャリアパスにおいて必要とされる能力とは、「基礎学力」と、仕事を通じて成長できる「学習能力」や「適応力」といえるでしょう。これはいわゆる「偏差値」と相関する可能性が高い能力です。ですが、本学の警察官に合格する学生はその「学力」と「学習能力(=コンピテンシーと言い換えられる)」を在学中にどんどん伸ばしていっています。

同時に、「警察一家」という言葉があるように、警察官同士の精神的な結びつきは非常に強いわけで、まさに家族ぐるみでの付き合いがあるわけです。親が警察官だと子供も警察官になることも多いようです。つまりは、強い精神的一体感によって結ばれた「メンバーシップ型」雇用が警察官の特徴なのです。

実際、「よい警察官とは何か」という問いに対して、「警察精神を持つこと」という答えは、多くの警察官にすんなりと受け入れられるでしょう。警察精神とは、初代警視総監である川路大警視の語録であるとか、そういった警察官に関わる職業倫理のようなものです。

メンバーシップ型雇用制度のもとでの、特定の職業倫理に裏打ちされたジェネラリストとしての警察官になれるかどうかは、その「組織風土」に馴染めるかが最大のポイントになります。だから、「能力」だけでなく「人物」が問われるのは、当然のことです。そして、これは日本企業と全く同じことです。

こうした実情は、学生が考える「警察官像」とは大きな違いがあります。多くの学生は警察官をジョブ職として捉えています。学生に「どのような警察官になりたいか」と訊ねると、「よい刑事になること」「パトカーで交通安全を守ること」といった答えが多いのがその証拠です。警察官とは特殊な能力と権力を持った専門職だと思っているのです。それは採用後10年間程度の暫定的な目標に過ぎないわけで、実際、生涯パトカーに乗る警察官は「出世しない警察官」といえなくもないわけです。

そうは言っても、警察の役割は「市民の安全を守る」ことであり、そのための警察のノウハウというのは、一朝一夕に身につけられるものではないだろう、そこには何らかの専門性があるだろう、という考え方もできなくはないでしょう。もちろん、そうなんですが、そもそも「市民の安全を守る」ための方法およびそれに伴う政策は日々変化しています。トップが変われば政策も変化するし、時代が変化すれば、これまた政策は大きく変化します。その都度、警察官の職務に必要なスキルも日々変化します。したがって、30代半ば以降の警察官に必要とされる能力とは、新たな課題に取り組むことのできる柔軟性や学習能力となるわけです。

つまり、日本においては、警察官を育成することは職業教育として成り立ち得ないのです。高校の先生方からは、「何を教えたら警察官になれるのか」と聞かれますが、「警察官という目標を持ち続けながら、大学の勉強を通じて『読み書き』能力を鍛え、さらには『意欲』や『学習能力』を高めることです」と言います。そして、僕が最も必要だと思っていることは、「警察官とは何か? 警察とは何か? 警察官は何をすべきなのか」を具体的に考えられるようになることです。それこそが、警察官を生み出すキャリア教育だと考えます。

結局、警察官に必要な能力とは、基礎学力と体力と意欲であることは、今も昔も変わりがありません。その点で言えば、大学としては、専門科目を通じて学生のリテラシーを育成し、教養教育を通じて広い視野を獲得するという、あまりにもオーソドックスで地道な方法しかありえないのです。こうした地道な勉強に耐えられること、それこそが警察官の適性であり、同時に、それは日本の企業がほしい人材と一致するのです。だから、「警察官になれる人材とは、日本企業における汎用的な人材と一致する可能性が高い」といえます。警察官志望者は、就職活動をするとすぐにどこからか内定をもらえます。4年間目標を持ち続け、勉強をきちんと続けた「根性」は、警察だけでなく、多くの企業からも評価されるのです。

本学が多数の警察官を輩出してきた歴史を振り返り、なぜそのような人材を育成できたのかを考え、実際に警察官になった卒業生たちが在学中に行なってきたことを調査すること。これって大学の教育目標を定める上で、ものすごく重要なことじゃないかなと思っています。最近は、そんなことを考えています。