学部長ブログを始めます

こんにちは。突然衝動にかられて、ブログを始めることにしました。

私は九州国際大学法学部に2001年から勤めています。国際政治学の科目で専任講師として採用されましたのが31歳の時でした。で、学部長になったのは私が38歳の時です。以来2年間学部長を勤めています。

普通、学部長とはベテランの教授が選ばれるものです。そして、学部長になれば、教育や研究活動にはほとんど時間をさくことができなくなります。多くの教員は研究や教育をしたくて大学教員になっているわけですから、普通は大学の役職に就くことは苦痛以外の何ものでもありません。しかも30代です。かなりの決意でした。結局、引き受けたことで、普通の大学教員のキャリアパスでは考えられない年齢で学部長になってしまいました。

僕は学部長になって何をやってきたのか。何をやっているのか。それがこのブログの中心の話題です。この2年間、僕は法学部の教育改革(特に初年次教育)に取り組んできました。そろそろ、自分が経験してきたことをもとに、学部長とは何なのか、本学が直面している問題とは何なのか、その問題に対してどういうアプローチをとっているのか、といったことを個人的にまとめて論じてみたいと思います。

そもそも、学部長が大学のホームページ以外でブログを書いている人はいないようです。そういう意味では非常識な試みかもしれません。ただ、twitter(@kyamamoto まとめブログはhttp://d.hatena.ne.jp/odelay-yama/)でも、本学の改革や大学教育についてあれこれつぶやいてきました。ですが、もう少しまとまった形で、書いてみたいなと思った次第です。ただし、このブログの内容はあくまで個人的な見解です。学部を代表して書いているわけではありません。

それに、僕は他の大学で専任教員として勤務したことはありません。社会人経験もありません。うちの大学以外の大学行政についてはほとんど知らないも同然です。視野の狭さからくる偏見も多いでしょう。でも、我々の大学が直面している問題は、多くの大学にとっても共通する問題のはずです。その意味で、自分の経験や考えをブログで書く事の意味は少しはあるかなと思っています。

ともあれ、普通の人にとっては学部長とは何なのか、どんな仕事をしているのか分からないことだと思います。大学関係者ですら、学部長が何をしているのかよくわからない人も多いでしょう(私もそうでした)。学部長というのは、大学によってかなり違ってくるでしょうが、主体的に取組むか、それともルーチンの会議と雑務をこなすだけの受動的な役割にとどまるかは、本人次第のところがあります。その意味で、何を課題として仕事に取組むかという意識は、役職を引き受ける上でとっても重要だと思います。そのあたりの話もおいおいしていきたいと思います。


まずは、なぜ僕が学部長を引き受けることになったかというところからはじめます。


うちの法学部では、最近はわりと事前の雰囲気で候補者がなんとなく決まっていました。そのうえでベテランの先生たちが本人を説得するというパターンが多かったようです。ですので、本人が引き受けるかどうかが最大の鍵です。でないとみんな心置きなく投票できません。本人が「よしがんばろう」とヤル気を見せた場合、学部長選挙の前には、「◯◯先生は引き受けると言ったらしい」という情報がすぐさま出回り、なんとなく自然にその人に票が集まるという感じでした。僕がこの大学にきてからは、学部長選挙で複数の候補者が争うというような生々しい事態は一度もありませんでした(学長選挙は毎回そんな感じなのですが。。)。わりと自然に「この人だったら。。」という感じで決まっていたのです。平和ですね。

その一方で、法学部はここ10年で急激に凋落していっていました。5年間で入学生が半減し、その後も減少に歯止めがかかりません。入学しても学生はどんどん退学していきます。これはもう潰れるんじゃないかと漠然と思っていました。

僕自身は、法律学専門でもないし、これまで学内の政治や学部運営にはほとんどタッチしていませんでした。教育面では、専門の国際政治学を脇において、学生と商店街を舞台に授業やゼミをしたりカフェを運営してみたり、新入生の研修合宿の運営に学生と一緒に没頭したりと、他の人から見れば、明らかにヘンなことしかやっていません。学生と一緒にプロジェクトをやることが好きで、いろんな制約が嫌いで、自由勝手に動くのが好きで、会議は特に嫌いで、書類仕事は一番嫌い。学部運営にはほとんど興味を持っていませんでした。唯一、広報委員は長くやってましたが。。

さて、そんな学部の危機に直面し、ついに2008年に前学部長が法学部の改革プロジェクトを発足させました。僕はそのメンバーの一員として加えられたのです。その時、僕は「法学部は昔から福岡県警をはじめとする多数の警察官を輩出してきたんだからその原点に戻るべき」と考え、改革の具体的なプランを出しました。それが全学的に承認され、法学部改革のメンバーの一人として認知されてしまったのです。

で、前学部長は、その後、学長選挙で当選してしまいます。そのあたりから僕の周りににわかに妙な空気が立ち込め始めます。法学部のベテランの先生の研究室に呼ばれて「学部長やってくれないか」と迫られ、学長からは、「一緒に仕事をしよう」と口説かれました。

他方、僕が仲の良い教員や職員たちは、みんな反対でした。「学部長になるとキミの良さが失われるよ」「いろいろ面白いことをする時間がなくなるよ」 みんなそう言いました。僕自身もそう思いました。おそらく学部長として最も人格的・性格的に相応しくない人物、それが僕です。しかも法律学専門でもないし、プライドの高い法学部の先生たちを率いるのは難しいだろうなあと。

ただ、潰れそうな大学にいるなかで改革案を出してしまったことへの責任と、あとは僕が個人的に長くやってきたことを、もう少し多くの人にやってもらえるように制度化したいなという思いもありました。それが学部長を引き受ける最大の理由でした。

個人的に長くやってきたこと。例えば、PA(Project Adventure)を新入生研修に取り入れ、学生を鍛えてファシリテーターとして研修を運営すること。入門演習に上級生を入れて一緒にゼミをやること。問題発見・解決能力の育成を重視すること。地域に学生を連れだして地域から学ぶこと。大学のホールで大々的に発表会をやること。学生と一緒にゼミ旅行や海外旅行にいくこと。「学生は舞台俳優で、僕は舞台監督。舞台監督は俳優をおだて叱咤激励してチームとしてまとめ上げて、舞台に上げる。で、上手くいけば学生は観客からの拍手をもらう」というスタンスです。

大学で働き出してずっとこの考え方で学生を育成してきました。そして、この教育スタイルは法学部とはおよそ正反対のスタイルです。僕が一人でやってきたことを大学の中に制度化していくということは、否応なしに法学部の伝統的な固いスタイルとぶつかることになります。本人が「引き受ける」と言った以上、あっさりと選挙では当選してしまいましたが、自分が考えている改革のプロセスには当然軋轢がうまれることでしょう。それが大変そうなのはすぐに予想がつきます。

しかも、それは「自分がやりたいこと」であり、「学部長としてやらなければいけないこと」は他にもあります。第一に、法学部の人気回復、つまり入学者の確保であり、退学者の減少であり、成績不振者の減少であり、学生の能力の向上であり、就職率の向上です。その他、学部としてやることが決まった改革案をきちんと実行させていくことも大切です。そして、これらの課題の奥底には、「大学の授業やゼミのやり方を変える」「授業やゼミを通して学生の能力をきちんと引き出し、引き上げる」という本質的な課題があるのです。

その辺りはどうやって取り組んでいったらよいのでしょう。新米学部長途方にくれる、です。