卒業生F君の披露宴の祝辞で、ゼミ教員は何を語るのか

 大学4年間はその人の一生を左右するほど大きな影響をその人に与えます。
 大学時代は、高校時代とくらべて、他者から強制されることは相対的に非常に少なくなります。それが「大学生は自由だ」という意味です。たとえ、縦社会の強い体育会系の部活動であっても、自分で納得して参加している場合がほとんどだと思われます。アルバイトをしないと生活できないという制約条件があったとしても、どんなアルバイトをどのようにするかは本人の選択次第です。大学時代の行動の多くは「自分から選択して」とった行動なのです。それは、その学生の「人となり」を説明する有力な材料になるのです。
 「人となり」を説明する材料は部活やアルバイトだけではありません。文系の場合だと「どんなゼミを選択したか」とか「ゼミを通じて何を勉強したか、どのような活動をしたか」ということは、多くの場合、その学生の「選好」の結果です。ゼミの内容は教員によって違うのが普通です。ハードなゼミもあればほったらかしのゼミもあります。勉強や活動がハードなゼミを選ぶ学生は、その理由はどうあれ「わざわざ自分から進んで」ハードなゼミを選んだ学生なのです。
 ハードなゼミとは、大体の場合、勉強しかしないゼミではありません。ハードなゼミは、例外なく教員が教育熱心です。教育熱心な教員は、勉強だけを教える教員ではありません。課外活動やゼミ合宿、飲み会なども必ずやっているはずです。
 したがって、ハードなゼミほど通常は就職状況が良くなるはずです。彼らは自主的にそういうゼミを選んだのだし、勉強も他の学生よりしているはずです。また、ゼミを通じて、仲間と濃密な関係を築く経験を人よりも多く積んでいます。
 さらには、ゼミの先生という「実社会には滅多にいない異質な世界にいる変な大人」とも長い時間接しています。学生は、ゼミの先生が変人であっても、尊敬できる人であるからこそ、ハードなゼミを継続して選択するのです。それは大学生にとって非常に大切な経験です。その結果、たとえ週1回のゼミだとしても、熱心なゼミであればあるほど、ゼミ外活動やゼミ合宿などを通じて、ゼミ教員と学生の関係は強まります。だからこそ、ゼミ教員は「恩師」と呼ばれるのです。
 他方、ゼミ教員は、自分のゼミの学生を少なくとも1年間、長ければ4年間みます。そういう長い時間をかけて学生を見ると、その学生の「能力」だけでなく、「人間性」も見えてきます。ちょうど小学校の担任の先生が通信簿で科目の評定とは別に「所見」を書けるようなものです。ゼミ教員とは、長い時間かけて面倒を見た学生に対して「所見」を書ける立場にあるのです(だから、大学の成績表にゼミ教員の所見欄がないのは不思議なことです)。
 さて、そういうゼミ教員は、しばしば卒業生の結婚式や披露宴に招待されます。祝辞を頼まれることも多いでしょう。なぜなら、ゼミ教員は「長い時間かけて見たその人の学生時代の人間性」を語ることができるからです。そして、「学生時代に自分自身で選択したゼミにおいて、教員から見える人物像」とは、卒業後何年経とうがその人の重要な「人物評価」になるのです。

 ここに、F君という卒業生がいます。彼はC大学を卒業してから地元超大手有名企業のJ社に入社し、5年後に結婚しました。そんなF君は披露宴で大学時代のゼミ教員にスピーチを頼みます。F君が3年間所属したゼミの教員は、たとえばこんなスピーチができるのです。

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 本日は、F君、◯◯さん、ご結婚のおめでたい席にお招きいただきましてありがとうございます。両家ご親族の皆様、本日は誠におめでとうございます。私は、C大学で教授をしております。F君は、◯◯年にC大学に入学し、彼が2年生の時から卒業するまで私のゼミに所属しておりました。
 その後、F君はJ社の社員として様々な経験を積み、大きく成長していることと思います。したがって、私が知っている大学時代のF君をここでお話しても、現在のF君とは全く違うかもしれません。ただ、私自身もそうですが、社会で様々な経験を積めば積むほど、大学の4年間がいかに大きなものであるか、自分にいかに大きな影響を与えているかを改めて実感するようになります。
 そこで、人生の一つの大きな節目にあたる今日のおめでたいこの時に、私の祝辞をきっかけとして、F君自身が大学時代を振り返るのも悪くはないかもしれません。私は、F君を3年間見てきたので、実はいろいろな話ができますが、この場では、F君の大学2年から3年にかけてのゼミの様子を紹介したいと思います。
 F君は2年生になって私のゼミに入ってきました。私のゼミが面白そうだと思って自分から進んで入ってきたのです。その頃、私は大学に隣接するG商店街という古い商店街と関わることになりました。当時、大学の教育として地域連携活動が注目され始め、様々な大学がまちづくりに関わるようになっていました。私自身もそういった活動に興味を持ち、地域社会の課題を考えるうえで、ゼミ活動の一環として取り組もうとしていたのです。
 ゼミでG商店街と関わるやいなや、F君達は様々なアイディアを自分たちで提案し、あっという間に実行に移していきました。お店でお手伝いをしながら商店街を観察すること、昔の商店街の写真を集めること、商店街の祭りをゼミ主導で企画・実施すること、カフェをみんなで作って運営すること、50年前に商店街の人達がやった仮装行列を再現することなどなど、たくさんあります。一つ一つがものすごく濃い内容だったし、反響も大きいものがありました。今振り返っても、たった2年間で、あれだけのことを成し遂げられたのはすごいことでした。
 F君は、商店街でゼミが始まった途端に、先陣を切って活動に乗り出しました。そんなF君は、ゼミの仲間から信頼されるだけでなく、商店街の人達からも愛されるようになりました。お手伝いをしたI酒店のIさんからも本当に可愛がられていましたし、多くの商店街の人たちからも人気者でした。彼はとても愛想よく、頭の回転が早く、ユーモアがあり、好奇心旺盛でした。さらに、これが私は最も素晴らしい資質だと思うのですが、素直なうえにいつも一生懸命でした。彼は世代をこえて人から愛される資質、一緒に仕事をしたいと思わせる力を持っています。それはいつも素直なことと一生懸命だからだと僕は思っています。
 彼はゼミと商店街が関わるあらゆることに、すべて中心メンバーとして関わっていました。商店街の方々を呼んで学内で行ったプレゼン大会、北海道でゲストとして参加した全国合同ゼミ大会、とある大学からもらった賞の授賞式でのプレゼンなど、ゼミにとって大切な場面で彼はいつもそこにいて、いつもプレゼンをしていたような気がします。
 F君がプレゼンをするとみんなが聞き入るのです。かれは、表面的できれいな言葉を並べるのではなく、活動のその時その時に自分の心の底で生まれた感情をきちんと言葉で表現しようとします。そういう言葉はみんなの共感を呼びます。だからこそ彼はみんなから信頼されるのです。
 さて、F君がC大学に入学したのは、明らかに不本意入学です。彼はO県の立派な進学校の出身です。彼からすれば、本学に進学するのは気が進まないことだったはずです。しかし、「自分はこんな大学に来るはずじゃなかった」と考えず、「この大学で面白そうなことを思い切りやって、自分の可能性を追求してみよう」と考えたのです。それが彼の素晴らしいところなのです。
 そういう彼の考え方・行動の仕方は、その後もきっと仕事で発揮されていることでしょう。彼が今でも、どんな仕事が与えられても、「この仕事になんの意味があるのか?」とか「自分がやる意味がどこにあるのか」といった態度を取らず、いつも一生懸命に目の前の仕事に取り組んでいるとしたら、そして、仲間を大切にしながら、周囲に良い影響を与えながら仕事を進めているとしたら、それは大学時代の経験が生きているからだと私は思います。彼は素晴らしい大学生活を過ごしました。それは自分自身でそういう選択をしたからなのです。
 今後もきっと、F君は人生の節目節目でそういう選択をするはずです。◯◯さん、彼の良いところは、周りに良い影響を与えながら、自分自身の所属する環境や組織を変えていくところにあるのです。それこそが彼が周りから愛される理由なのです。F君、これからは、◯◯さんのために、自分たちの家庭をよりよいものにしようという努力を行って欲しいと思います。
 最後になりますが、お二人のご両家の皆様と本日ご参列の皆様のご健康とご発展をお祈りいたしまして、祝辞と代えさせて頂きます。本日は、まことにおめでとうございました。

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 この祝辞は、つまりは、相手の親族や職場の上司・同僚たちに対する、大学時代の教員からの「推薦状」です。良い所をひたすら誇張するところも推薦状と同じですが、長い時間かけて面倒を見た学生に対する推薦状とは、それがたとえ全面的に褒め上げる内容であっても、そこには真実に近い「人物評価」が含まれているのだと思います。

 私は、ゼミの学生に対して、卒業後だけでなく、就職活動時に、こうした「推薦状」を与えるべきだと思うようになりました。推薦状とは、「長い時間を通じて、教員に見えてきた学生の姿」です。それは学生自身が、就活セミナーでアヤシイ「自己分析」をするより、よっぽど自己理解を深める上で「役に立つ」ものだといえるのではないでしょうか。それがゼミ教員の役割の一つではないかと、私は最近思っています。

E君はいかにして大学に進学し、ジャージを脱いだか

全国に大学は780ほどあります。それらの大学にはそれぞれ建学の理念があり、それぞれの教育理念を持っています。主観的な思いとは別に、客観的なレベルでも各大学の位置づけというのはなんとなくあります。

例えば、家庭環境が貧しくても学力が優秀な学生を選抜して教育を行う大学もあれば、豊かな生活環境の家庭の子女を選抜して教育を行う大学もあります。国公立大学はどちらかというと前者です。もちろん、現実はそんなに単純ではないですが、前者の大学は「階層移動」のための学校で、後者の学校は「階層の再生産」として機能していると言うこともできるでしょう。

ただし、進学率50%をこえた日本の大学は、もはやエリートを育成する教育機関と限定することはできません。日本の大学とは「勉強のできる人」か「上位階層の出身者」のどちらかが行く教育機関という位置づけからは、とっくに変化しています。

アメリカの社会学者であるマーチン・トロウは、高等教育への進学率が15%を超えるとエリート段階からマス段階へ移行し、さらに、進学率が50%を超えた高等教育機関をユニバーサル段階と呼んでいます。日本は昭和40年代にマス段階に移行しています。ユニバーサル段階に達したのは平成20年ごろ、つい最近です。

進学率が50%を超えると、大学は「選ばれた人」が行く場所ではなく、「誰もがいつでも自らの選択により学ぶことのできる」場所になってきます。進学率が50%を超えた国は先進国でもたくさんあります。たとえば、アメリカほど多様な大学が存在している国はないでしょう。進学率は70%を超え、コミュニティ・カレッジから世界的レベルの大学まで多種多様です(参考:進学率の国際比較)。


進学率の上昇に伴い、大学の機能分化は必然的にすすみます。その過程で大学のイメージも多様化していく必要がありますが、日本では、まだ大学の機能分化が明白な形で進んでいません。だからこそ、「大学生なんだから〜」とか「大学というものは〜」という言葉がいまだに普通に使われているといってよいでしょう。「大学」とか「大学生」という言葉に、現実とは別に一定の価値基準が残っているといえます。

さて、言葉のレベルではそうなのですが、現実レベルでは「大学」の実態はかなり多様化しています。上位大学の役割は明白です。社会のエリート層を輩出する役割が迫られています。最近「グローバル人材」という言葉には、そうした意味合いが込められているといえます。他方、ユニバーサルレベルにある大学とは、どういう役割を果たしているのでしょうか? 

進学率50%ということは、「勉強のできる人」か「上位階層の出身者」が大学に進学しているだけでなく、「勉強が出来ない人」かつ「上位階層の出身者ではない人」が大学に進学している時代です。こうした「その他多数」の大学の存在する意味はどこにあるのでしょうか?

一例を紹介しましょう。

とある大学で、E君は入学式直後からとても目立っていました。歩き方、しゃべり方、動作がすべて完全にヤンキーでした。椅子に座る時も、普通に座るのではなく、あぐらをかいて座ります。服装は常にジャージです。

そんなE君に、「どこの高校から来たの?」と尋ねると、E君は「ヤン校〜」と答えました。おそらくヤンキーが多数を占める高校ということでしょう。

「なんで大学に来たの?」と聞くと、

「高校を出て力仕事をしてたんだけど、屋内で仕事をしたいと思った」と言いました。「オレは勉強できないけど、大学を出て屋内で仕事をしたい。スーツを着る仕事をしたい。」と真面目な顔をして語るのです。

本人の見た目やしゃべり方はモロにヤンキーなのですが、気持ちはそういう環境から抜け出したいと思って大学に来ているのです。つまり、彼は明確に「階層移動」のために大学に進学しているといえます。「屋内でスーツを着る仕事」という大卒の仕事のイメージが一面的だったり、そう言いながらも本人はもろにヤンキーの行動様式を捨ててないなど、いろいろ突っ込みどころはあるのですが、彼には強い目的意識があります。

もちろん、勉強は今までほとんどしていません。高校の先生からは、授業中に「お前は寝てろ」と言われたりしていました。文章が書けない、漢字が書けないのは当たり前です。そんな彼に対して、勉強が出来ないことでちょっとでも見下した態度を大学教員が取ると、彼はあっという間にふてくされ、激しく大学に反発することでしょう。じっくりと彼の思いを聞いてやり、なおかつ大学の勉強が彼にとってなぜ必要かをきちんと伝え、大学の勉強がどんなにつまらなく思えても、歯を食いしばって勉強すべきだという指導を息長くやっていく必要があります。

地方のユニバーサル大学には、そういった学生が一定数入学しています。彼は珍しい存在ではありません。私は、こういう学生に対して、胸を張って入学を受け入れ、きちんと教育しようという意気込みを示す大学が日本に絶対的に必要だと考えています。

さて、こういう学生は、大学1・2年はずーっとジャージで登校しています。ジャージといってもスポーツブランドのジャージではありません。体育会の学生はジャージは当たり前ですが、それとはちょっと違います。なんか変な刺繍が背中に入っていたりするのです。

そういう学生の中には、3年生ぐらいからジャージを脱ぐ学生が出てきます。「最近ジャージで大学来なくなったね。」と聞くと、「うーん、やっぱりね…」などといって言葉を濁すのですが、大学に通っているうちに、様々な学生と友人になり、話をしていく中で、ジャージで大学に来ることが不自然だということに気付くようなのです。

私はこの段階で、大げさかもしれませんが、「大学の勝利だ」と思います。つまり、彼は象徴的な階層移動を果たしたのです。『マイ・フェア・レイディ』という映画は、「上位階層のしゃべり方をマスターできれば、上位階層になれてしまう」という言語の逆説的な象徴機能がテーマの傑作ですが、同じように、ヤンキー出身の学生がジャージを脱ぐことは、ある意味、大学によって、彼自身のそれまでの階層意識が変わったということの象徴なのです。

私は日本の中堅層がきちんとした教育を受け、家庭環境や地域の環境を抜け出し、日本のマジョリティとして自立した生き方をするために、ユニバーサル大学の役割は非常に大きいと思っています。様々な地域から、様々なバックグラウンドを持った「勉強が出来ない」かつ「上位階層の出身者ではない」学生が入学し、大学の勉強を通じて、それまで書けなかったような文章が書けるようになり、それまで読めなかったような文章が読めるようになり、それまで考えもしなかったような考え方を身につけ、最終的にスーツを着る仕事につく、というのは、日本の大学の一つの存在意義ではないかと思っています。

それがユニバーサル大学の存在意義の一つだと私は強く思います。

E君は、法律学入門の授業を受けて、友だちと「アリストテレスって結構いいこと言ってんじゃん」なんて言いながら教室を出て行ったそうです。大学に来なければアリストテレスなんて一生知ることがなかった彼のような学生が、アリストテレスの考え方に触れ、その考え方に対して何かを感じ取ること自体、進学率が上昇した現在だからこそ、起こり得ることではないかと思うのです。ユニバーサル大学においてきちんとした教育改革を進めることはとても大切なことなのです。

E君がジャージを脱ぐ日も近いかもしれません。

大学でbe動詞を教える授業のレベルは低いのか?

大学でbe動詞教える授業、文科省が改善要求 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

こういう大学の授業のレベルの問題は時々話題になります。僕自身、以前も、twitterでとある大学のシラバスの件で議論になり、「あのシラバスの意味するもの」というまとめを作っていただいたこともあります。

いわゆる初等・中等レベルの内容が大学の授業で行われていることについて、あらためて考えてみたいと思います。こういう問題は、わりと議論が沸騰しがちなので、今回は話を整理したいと思います。

まず、大前提として、50%をこえる進学率と、推薦入試等による大学の青田買いの結果、低学力学生が大学に入学しているのは事実です。それは、大学の責任でもありますが、そういう学生が大学教育を必要としている、もっと言えば、大学進学以外の選択肢がない、というのも、これまた日本の現実なのです。別の角度から見れば、かつてだと大学進学をしなかった層の学力問題が、大学進学によってはじめてあぶりだされたともいえます。大学側には、低学力であろうが関係なく入学させている問題がある一方で、いくら低学力であろうが関係なく卒業させている高校側の問題でもあるのです。

たとえば、句読点の使い方がわからない大学1年生は実際に一定数います。「テンとマルの打ち方わかる?」と尋ねて、いままで最も考えさせられた回答は、「『は』のあとはテンで『だ』のあとはマルだ、と思う」というものです。

この学生は、小学校の早い段階で、先生からそう教わってしまったのです。そのために句読点の打ち方がわからなくなったのでしょう。それは十分にあり得る話です。実際にそういう教え方をする先生がいないわけではないのです。

しかし、より深刻な問題は、その後、高校を卒業するまでに出会った教師が誰一人として、彼が句読点について誤解していることについて気付くことなく、矯正することもなかったということでなのです。それを初めて気づいたのが大学の教員だったのです。

こうした学生の多くはいわゆる「学習障害」ではありません。初等教育の早いレベルで誤解をしてしまい、その誤解が解けてないだけです。実際、学生の多くは、文章の書き方の基本を一度教えたら、すぐに直ります。マルとテンがおかしかった学生が、1年後に立派なレポートを書いてる例は身近に山ほどあります。

したがって、現実から見れば、たとえば文章の書き方であれば、大学で、マルとテンの打ち方、原稿用紙の使い方、段落分けの原則などの基本をイチから教えることは、必要なことです。文章の書き方について変な誤解をしている学生はたくさんいます。

そういう高校までの知識を再習得させる授業のことは「リメディアル」と言われます。実際に、多くの大学でリメディアル授業が行われています。ただし、本来、リメディアル授業では単位を出すことは認められていません。リメディアル授業に単位を出している大学は、これまた別の問題です。

話を戻すと、多くの大学で、リメディアル的な授業から始めることは、現実的には必要なことです。目の前の学生をみれば、そういう授業からはじめなければいけないのです。ただ、問題は、多くの授業の場合、そのレベルで終わってしまっていることなのです。

文章表現科目であれば、リメディアルからはじまり、大学で求められる文章力まで一気に学力を引き上げる授業でなくてはいけません。英語であれば、be動詞からはじまって、動詞と格の関係について理解させ、そこから大学生として必要な英文読解、英作文能力を付けさせる授業でなければいけません。

そんなことは無理だろうって? いや、18歳から22歳の発達可能性の大きさときたら、とてつもないものがあります。学生の成長能力の高さに、僕はいつも驚嘆しています。学生の現状レベルではなく、成長レベルに合わせれば、それくらいの授業は十分できるはずなのです。

いや、もっと言えば、大学の教員であればなおさらできるはずなのです。なにせその分野の専門家なんですから。中・高の先生が知らないその分野の本質的な知識を持っているわけですから、今まで英語について何も理解できなかった新入生が「そうか、そういうことか。そんなことは今まで教わってなかった」と目を見開くくらいの授業が出来るはずなのです。

したがって、繰り返しますが、問題は、大学の授業で初等・中等レベルの内容を行っていることではありません。あるいは、そういう授業内容を必要とする低学力学生がたくさんいることが問題なのではありません。問題は、授業がそのレベルで終わってしまう大学教員の力量にあるのです。

抽象論でこういうことを言っているのではありません。実際に我々は、文章表現科目であれば、初等・中等レベルから授業をはじめ、1年の終わりには、立派な課題解決型文章を書かせる授業を展開しています。そういうことに取り組んでいる大学教員は、実際に日本でたくさんいるのです。

新聞記事になっている件の大学は、もしbe動詞を教える程度で終わっていない授業をやっているのであれば、真剣に反論すべきでしょう。

他方、どうしようもない授業しかしていない大学教員がいるのもこれまた事実です。be動詞からはじめて、中学の文法の授業のような、人をバカにした授業しかやっていない教員がいることは、想像に固くありません。そういう教員は、完全に学生をバカにしています。「ウチの学生だったらこれくらいしかできない」と開き直るのです。

そうではありません。そういう授業しかできないその教員のレベルが低い、のです。

あるいは、そういう授業を放置している大学の問題です。大学全体の教育目標とその授業が関連づいていないのが問題なのです。そういう授業のシラバスは見れば一目瞭然です。大学としてすべての授業の方向性や枠組みを設定していないから、アホ教員が目もアテられない授業をやってしまい、しかもそれを放置しているのです。

文科省は、どちらの授業のことを指摘したのでしょうね? 言わずもがなだと思いますが。

C君はいかにしてC大学の学生となり、退学問題を乗り越えたか②

 C君は無事にC大学の入学式を迎えました。
 入学式終了後、C大学では学部ごとにガイダンスがあります。
 C君は法学部なので法学部の部屋に行きます。その場所で法学部長はこんな話をしました。

 「大学を出た後、みなさんは社会に出ることになります。大学はここにいるみなさんにとっておそらく最後の学校です。大学は、まとまって勉強をする最後の機会です。最後の学校だと思って4年間を大切に過ごしてください。18歳から22歳前後時期に、勉強をすることはみなさんの一生を変える出来事になるはずです。
 この中には、たまたま法学部を選んだという人も多いでしょう。法律学を勉強したくて法学部に来たわけではないという人もいるでしょう。しかしその選択は間違っていません。法律を勉強することは2つの意味で、法律学を一生の糧にしない人にとっても、とても意味があることなのです。
 第一に、法律学を勉強したからといって、社会には法律を活かせるような仕事は、特に最初のうちはほとんどありません。公務員であっても、もちろん法律の知識は大事ですが、ほとんどの場合、法律を知っているからといって仕事ができるようにはなりません。むしろ、大事なのは、法律学を勉強することで身につく「考える力」です。大学での勉強とは、知識を使って自分なりの考え方を表現できるようになることが目的です。授業でのレポートもそうだし、ディスカッションにしてもそうです。こういう勉強が生涯にわたっての成長可能性をつくることになるのです。法律学はその一つの手段なのです。
 そして、法律学とは難しい言葉のオンパレードです。だからこそ、そのような言葉や概念を知ると、今まで読んだことのない文章が読めるようになり、考えたことのないことを考えられるようになります。そうした専門知識を使って考えられるようになること、これはみなさんにとって何よりの成長です。
 二つ目は、勉強を通じて身につく様々な副産物があります。みなさんは入学後ゼミに所属します。ゼミ以外にも少人数のクラスがたくさんあります。その人達とディスカッションやグループワーク、発表などを行う機会はこれからたくさんあります。そういうとき、みなさんは、「グループの仲間とよい関係を作り、一緒に課題に取り組む」必要に迫られます。人前で意見を述べ、それを元に質疑応答などを繰り返すこともあるでしょう。それは、社会で人と一緒に仕事をする上で何よりも重要な力となります。社会で必要となる力は、まず第一に大学での勉強を通じて身につくことを覚えておいてください。他にも、本学は授業の出席は厳しくとります。なぜなら、授業に遅刻しないとか、レポートを締め切りまで出すとか、自分から必要なことは大学に問い合わせるとか、そういった力は、「社会で自立して生きていくための基本的な姿勢」につながるからです。これらは「副産物」だからといって、なくていいものではありません。勉強の結果として必ず身につけてもらうつもりです。
 時には、勉強の意味がわからなくなることもあるでしょう。大学がつまらないと思えるようなときもあるでしょう。我々教員は、みなさんがそんな素振りを見せたら、すぐに相談にのるようにしています。誰かがゼミに来なくなったら、すぐさまその情報は他の教員にも伝わるようになっています。時には保護者の方と一緒に相談することもあるかもしれません。我々教員は全員で皆さんのことをみています。4年間頑張ってください」

 C君は、学部長の言葉をちゃんと聞いていたわけではないけれど、ちょっと安心しました。C君は特に法律を勉強したかったわけでもなく、法律を活かした仕事につきたかったわけでもなかったので、法学部で勉強するのが、そのためだけにあるのではないとわかったからです。

 履修ガイダンスでも驚くことがありました。大学の時間割は自由だと聞いていたのだけれど、説明を聞いてみると、ほとんど自由ではありません。自分で選べる科目は2つぐらいしかないのです。履修ガイダンスで説明してくれた先生は次のように言いました。
法律学というのは順番を追って勉強しないとわからなくなるから、その順番通りに履修できるよう、時間割にはあらかじめ組み込んであります。自由に履修できるのは3年ぐらいになってからです。また、法律学だけでなく、考える力を身につけるための大学1年向けの科目もすでにクラス別に振り分けています。語学もクラスは決まっています。残りは2つぐらいなので、自分が取りたいと思う科目をとってください。なお、取れる科目はこの3つのカテゴリの中から選べます」
 C君は結局、心理学と社会学を自分で履修しました。その2つが面白そうだと思ったからです。

 さて、入学式が終わると、すぐさま新入生合宿です。合宿では、ゼミごとに屋外で何かをやるようです。C君はこういうの面倒だなあと思いました。しかし、入学式の後、先輩たちが来て「楽しいから絶対に参加するように」と言ってきたのです。しかたなく、大学からバスに乗ります。バスで2時間ほど揺られて、海辺のホテルに着きました。

 合宿では、ゲームみたいなものを繰り返していきます。すべての指示を上級生が出しています。次から次へと今までやったことのないゲームをやりました。名前を呼び合いながらボールを投げ合いっこするゲームや、フルーツバスケットの変形みたいなものから始まり、そのうち、手をつないでフラフープをみんなが通していくゲームなんかもやってます。新入生同士は初対面なのに、いつの間にか、名前を呼び合い、一緒にゲームをするようになっています。先生も一緒にやっています。ちょっとバカバカしい動きをさせられるのですが、みんなの雰囲気が良くなってきて、だんだんC君も安心して笑顔が出てくるようになりました。

 夕食の頃には、すっかり意気投合する仲間を見つけていました。夕食後には、ゼミごとに改めて自己紹介をします。4人一組になってテーブルの前に座り、落書きしながら話をしていいというのです。そのうち、人が入れ替わっていきます。こういう仕切りも全部上級生がやっていました。この先輩なんかすごいな、と思い、
「どうすればそういうことができるようになるんですか」
と聞きました。
 すると、先輩は、「オレたち、春休みはほとんどこの準備と練習に明け暮れたからね。新入生に安心して大学生活を送ってもらいたいと思って、みんなで相当頑張った。このイベントは法学部の伝統だから。」と言いました。C君はこういう先輩がいる大学って悪くないかもしれない、とちょっと思ったのです。

 夜は、大広間で自由に話ができます。先輩たちも先生たちもいます。ゼミのみんなと、先輩たちにアルバイトとかサークルとかのことを質問します。
 すると先輩は、「お前、奨学金借りてる?」って聞いてきました。C君は「学費のために借りてます。でも、アルバイトもしなきゃいけないんです」と言いました。
 先輩はすると、こういうことを言いました。
 「そりゃエラいね。でもね、オレの友だちもアルバイトし過ぎで、抜け出せなくて、結局単位取れなくて大学やめて、今フリーターして、しかも途中まで借りてた奨学金を返しているやつが、この大学だけじゃないけれど、いっぱいいるよ。そうなったら意味ないから、いくらアルバイト先で店長から持ち上げられて、シフトをいっぱい入れられそうになっても、断わるようにしないとダメだね。店長は結局、アルバイトをどこまで働かせられるかしか考えてないからね」と言ってくれました。
 そうか、奨学金は卒業後に返さなといけなくなるから、ちゃんと勉強と両立させないとだめなんだな、とC君は改めて気づきます。アルバイトの雰囲気は、春休みにたっぷりやったのでわかります。そういえば、大学生でもほぼ毎日オールでバイトに入っている学生がいました。C君の面倒も見てくれて、店長からの信頼は絶大だったのですが、そういう雰囲気に巻き込まれたらダメだと、先輩は教えてくれたのです。

 「先輩は何になりたいんですか?」とC君は尋ねます。
 「オレは、警察官になりたくて今はアルバイトも減らして公務員講座を受けてるよ。ゼミでも色んなイベントが入ってくるからなかなか忙しいけどね。オレは高校まで勉強してこなかったから、大学で勉強しても受かるかどうか分かんないけど、先生は、オマエみたいなやつは民間企業を受けても絶対に内定とれるから、といってくれるから、民間企業の就職活動も今やってる」といいます。
 C君が「先輩みたいな上級生が多いんですか?」と聞くと、
 「そうともいえないよ。面倒臭がって楽な方に走ってなにもしないやつも結構いるよ。でもそういうやつって3年の冬ぐらいになってから焦るんだよな。やっぱり2年以降もちゃんとしたゼミを選んで、自分から動くようにしないと、何も変わらないからね」と答えてくれました。先生も横でうなずきながら聞いています。
 C君はこの先輩が所属しているというフットサルサークルに入ることに決めました。剣道部に入ることも考えたのですが、大学では今までやったことのないことにチャレンジしてみようと思ったからです。

 合宿はほんとうに楽しみました。夜遅くまで部屋で新しくゼミとなる仲間たちといろいろ話をして盛り上がりました。翌日もまた、ゲームのようなことをしましたが、とても楽しんだのです。帰る頃には、最初行きたくないなあと思っていたあの気持がウソのようでした。

 授業は翌週から始まります。C君はちょっと大学が楽しみになってきました。

C君はいかにしてC大学の学生となり、退学問題を乗り越えたか①

今回からBLOGOSにも転載されるようになったので、改めて自己紹介をします。
はじめまして、山本啓一と申します。北九州のとある大学に勤める大学教員です。2008年から2012年まで学部長をつとめ、その後も教育改革に携わり続けています。

日本の大学は、ここ最近、10年間ごとに進学率が10%上昇し、現在の大学進学率は50%を超えています。学生の状況も刻々と変化しています。しかし、こうした変化について、大学関係者も含めて多くの人はあまり実感できていません。そのせいか、大学の現状が大きく変化したにも関わらず、社会全般で議論される「あるべき大学像」は、進学率20%台の時代を前提としてることが多い気がします。

そこで、このブログでは、現在のマージナル大学(いわゆる下位校)やユニバーサル化した大学(同世代の半分以上が大学に進学する状態)の課題や改革の方向性について扱っていきたいと思います。リアルで等身大の大学像や学生像を伝えることができれば幸いです。


さて、今回から、地方都市の普通科高校の3年生であるC君に登場してもらいます。C君を通じて、「勉強が苦手で将来の目標が漠然としたまま大学に進学してくる学生」という、現在かなりの割合を占める学生について、少しでもリアルなイメージを持ってもらえたらと思います。

C君の高校の成績は中の下といったところですが、進学を考えています。進路指導の先生も「今は高卒でいい就職先なんて本当に限られている。お前ら普通科の生徒は進学以外に道はないんだ」と言うし、周りの友人も専門学校か大学かのどちらかを選んでいます。C君自身は将来なりたい職業が特になかったこととから、大学進学を選ぶことにしました。

C君の父親は自営業です。「お前の進路はお前に任せるが、できれば大学に行った方がいいんじゃないか。オレは大学にいなかったからよくわからないが、いまや大学に行かない人間の方が少ないそうだ」と言っています。母親は「大学でも専門学校でもいいけれど、資格をとって公務員になってちょうだい」と普段から言っています。

高校の先生は、大学進学するならセンター試験まで勉強したほうがいいとしきりに言っていましたが、C君は推薦入試の方がいいなと思っています。親の経済的な状況を考えると、地元の大学以外の選択肢はありません。だったら、わざわざ全国区の大学を受けるための勉強をする必要性を感じなかったのです。

高校の進路指導の先生からは、「C大学だったらそんなに難しくないが、法学部は最近評判がいいぞ。警察官のためのコースがあって合格者も結構出てるらしい。お前の評定値だと大丈夫だ」と言われました。

C君は、勉強は嫌いな方だったので、いままで資格とか公務員試験とか考えたことがありません。でも、進路指導の先生からC大学を勧められた時には、公務員の中だったら警察官がいいなあと思うようになりました。制服姿のキビキビした態度にもなんとなく憧れます。

そこで、8月に母親と一緒にC大学のオープンキャンパスに行ってきました。高校の先生からもオープンキャンパスに行って感想文を出すように言われています。オープンキャンパスで模擬授業を見たり、大学の先生と進路相談をしたりしました。大学生も手伝いで参加しているようです。母親は学費とか公務員合格率とか、いろんなことを聞いていました。大学の先生は、「公務員試験対策をしただけでは公務員試験に受かりません。大学生なりの勉強を本気でやり、大学生なりの充実した学生生活を送ることで合格に近づいていくのです」と言っていました。

C君は先生の話の内容にはあんまり興味がありません。ただ一つだけ、先生たちと学生がすごく仲良さそうに見えたのが印象的でした。なんだか学生が対等に話をしています。もちろん、学生はタメ口ではなくちゃんと敬語で話をしているのですが、先生たちは学生に対して、高校の先生みたいに「おいお前ら、〜しろよ」じゃなくて、「〜してくれる?」といった口調で話をしているのです。

大学ってちょっと大人なところがいいなと思いました。戻って高校の先生にその話をすると、「オープンキャンパスの時は大学の中でも特にいい先生といい学生だけが出てきて宣伝をするのが普通だ。オープンキャンパスの雰囲気を信じこんだらよくないぞ」と言われました。でも、直感でC大学に行こうと思ったのです。

11月になると推薦入試の季節です。C君も面接の準備などを高校の先生に指導してもらう日々が続きました。大学のパンフレットに書いてあることを抜き出し、その言葉をもとに志望動機をつくり、それを暗記するのです。「はい! わたしが御校を志望いたします動機は、まず第一に法学部には◯◯コースという、警察官を育成するコースがあると伺ったからです」、といった具合です。

推薦入試当日になりました。C君は結構緊張しています。順番を待ったあと、面接会場に入ると2人の先生が座っています。練習どおりに、大声で「失礼します! ◯◯高校から参りました◯◯です。受験番号は◯◯です」といい、面接が始まりました。

最初は型どおりの面接内容でしたが、そのうち面接の先生が予想外のことを聞いてきました。「高校で団体行動はしたことがある?」という質問です。C君はなんとか「剣道部に入っているので練習は毎日しています。合宿も夏休みごとに行きました」と答えられました。面接の先生は満足そうでした。面接自体は10分ほどであっという間に終わりました。

1週間後、合格通知が高校の進路指導の先生あてに来ました。両親はとても喜んでいました。こうしてC君はC大学への進学が決定です。こんなにもあっさりと決まるんだったら、他の選択肢もあったかもしれないとふと思いましたが、もう決まってしまったことです。

さて、11月末から2月までは高校に毎日通わなければいけませんが、大学入学が決まっているわけですから、それまで以上に勉強に熱が入るわけではありません。大学からも業者が作った問題集が送られてきました。入学するまでに問題を問いて送らないといけないようですがこちらも適当に解きました。

こうしてあっという間に高校の卒業式です。卒業式は3月1日です。1ヶ月の春休みは、友だちとたっぷり遊んだり、バイトをして過ごしました。もはや遊んでいても誰も注意する人はいません。C君は、「このまま大学もこんな感じだったらいいのに」と思ったりもします。

さていよいよ4月です。C君は晴れてC大学の学生となります。
はたして、C君はちゃんと大学生としてやっていけるのでしょうか? 

続く〜

注:C大学およびC君はフィクションです。

とある自伝的小説より(フィクションです)〜「大学の勉強は仕事にどう役に立つのか」

退学者問題は、結局のところ、「大学の勉強は社会に出た時にどう役に立つのか」という問題と深く関わっています。目の前の学生に対して、説得力を持った説明を教員が組織的に行うことができれば、それだけで退学率は大幅に変わってくるはずです。退学者問題に直面している大学は、初年次教育を担当する教員たちだけでも、それをやる必要があると思います。

さて、そんなことを考えているうちに、1年生向けの「文章表現科目」で作成した教材の一つを思い出しました。facebookには一度掲載したことがあるのですが、ブログに転載します。

ちなみに、文章表現科目とは、初年次(1年生)の科目で、文章の書き方やレポートの書き方等を教える科目のことです。多くの大学でこの科目の開設が増えてきています。ウチは3年前から導入してます。

ウチの授業では、3コマを1ユニットとして、いろんな資料を読ませたり、ディスカッションさせたりしたうえで、800字程度の文章を書かせるという、とてもユニークな仕組みをとっています。そういう内容の授業を4名の教員が同一内容で同時進行させています。この文章表現科目の内容それ自体について、近日中にひつじ書房から出版される『大学生のための日本語リテラシー』で紹介する予定です。

さて、今年度の春学期に扱ったテーマの一つが、実は「大学の勉強は社会に出ていかに役に立つのか」でした。このテーマは、文章表現科目でありながら、キャリアデザイン的な要素を含んでいます。日米の大学生の勉強の時間の相違といったデータや、教育心理学者の文章などを読ませながら、学生自身にこのテーマを考えさせ、文章を書かせました。

教材を作成する時、自分たちが望むような内容の素材が見当たらなければ、我々はしばしば自作します。以下に紹介するのは、そんな風に私が自作した文章です。

人文系・社会科学系の学部は、しばしば「大学で勉強することは社会に出たら役に立たない」と言われることが多く、実際にそう思ってしまう学生も多いのですが、そうではないよというメッセージを込めて作成したものです。退学者問題と絡めてこの文章を読むと、なかなか味わい深いと思うのですがいかがでしょうか?

(念の為ですが、この文章はフィクションであり、私が書いたパスティーシュであることをご了解ください)

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以下の文章は作家郡ようこの自伝的小説の一部である。

 私は、新橋にあるちいさな出版社で編集の仕事をしている。出版社というとなんだか華やかそうなイメージがあるけれど、作っているものは企業のチラシやパンフレットだし、会社の事務所が入っているビルもとても古い。会社には、ガハハとよく笑う太った社長と、細くて背が高いのに腰の低い専務と、社員が5名いる。あとは経理のおばちゃんもいる。社長はいつも景気が悪いとグチをこぼしている。

 私は大学では近代文学を専攻した。自分で言うのもなんだが、大学ではわりとまじめに勉強したと思う。卒論は太宰治のことを書いた。でも、友人たちが就職活動をやっていたのに、私はぼおっとしていて、いつの間にか卒業する時期になってしまった。それを見かねた親が、知り合いのつてをたどって、今の会社を探してくれたのだ。
 私は特に出版社で働こうなんて考えてなかった。編集の仕事がなんなのかも全然知らないまま、社長から「日本文学をやったんだったら、文章は書けるだろう、ガハハ」といった感じの簡単な面接だけで採用されたのだった。提示された給料はすごく安かった。でも、他に行くところがないから仕方がない。しばらく働いてみようと思った。

 仕事はわからないことばかりだった。ある会社の新卒採用のパンフレットをはじめてまかされた時には、途方にくれた。相手先との打ち合わせは先輩が手助けしてくれたけれど、先輩は忙しいみたいで、あとは一人ですすめてくれ、とほうりだされたのだった。
 しかたがないので、他のパンフレットを見たり、図書館に行ってデザインの本を調べたりした。あるデザインの本には、「広告とは、目指す相手に届けるメッセージだ」と書いてあった。私はそれまで、パンフレットはきれいな写真と図が入っていたらそれでいいのかと思っていた。だからこの一文を読んでうむむとうなったのだった。
 そこでもう一度、相手の会社の担当者に話を聞いてみた。すると、
「ウチは地味だけど作ってる製品もいいし、雰囲気も良くていい会社なんだ」と言われた。ほかにも、
「どんどんアイディアを出して自分から動く人に来てもらいたいんだよなあ。ウチみたいな会社が生き残るためには、みんながそんな風に仕事をしないとね」とも言っていた。
 最初に渡された資料は、会社の業績とか、その会社が作ってる製品の細かい説明ばかりだったので、私はあれっと思った。

 私はその会社で製品を開発している人に話を聞くことにした。メガネをかけた地味な年配のおじさんだった。でも、話を聞くと面白かった。会社のみんなでお酒を飲んでる時に、突如アイディアを思いついたのだそうだ。そこから飲み会を切り上げてみんなで会社に戻って、一気に設計図までつくったらしい。社員はみんな仲が良さそうだった。
 こういう会社は小さいけれど楽しそうだなあと思った。だから、パンフレットのタイトルは、「こんな小さな会社だけど未来がある――みんなのアイディアを活かす職場」とした。中身はそこから自然に決まっていった。写真も図も少ないけれど、みんなが何のために仕事をしていて、どんな風に協力しあってるのかを具体的に書いた。開発者のおじさんと若い社員の対談も載せた。大学の友人に見せてダメ出しをしてもらって、直したりもした。

 できた案を持って行くと、相手先の担当者は「こういうことを伝えたかったんだよ」と言ってくれた。うちのガハハ社長も喜んでくれた。「やっぱり大学でちゃんと勉強した人は強いね、仕事のやり方がわかってるなあ、ガハハ」と言ってくれた。私は大学でそんな勉強したことないのにと思ったけれど、でもちょっとうれしかったのだった。


(出典)郡ようこ(注意:実在しません)『別人「郡ようこ」のできるまで』紀尾井出版

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実際の授業では、この文章を読ませた上で、次のような問いを出し、内容理解を確認しています。

【問1】主人公が企業のパンフレットを作成する際に、行った仕事を、次のカテゴリごとに簡単にまとめなさい。
(  情報収集  )
(  情報分析  )
(  課題発見  )
(   構想   )
(   表現   )


【問2】 ガハハ社長は、「やっぱり大学でちゃんと勉強した人は強いね、仕事のやり方がわかってるなあ」ほめてくれたが、それはなぜか? 社長は、大学の勉強と仕事のやり方がどうつながっていると考えているのだろうか?

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ちなみに問1のカテゴリとは、「知識活用力」「課題解決力」のプロセスであり、実は、この文章表現科目そのものの「達成目標」としてシラバスに記入している用語なのです。このカテゴリは、入門ゼミの達成目標でもあり、学部全体の達成目標の一つでもあるのです。というわけで、この文章の内容が、この授業や学部の達成目標と密接に結びついているという、いわば入れ子構造になっているのです。

表面的には「役に立たない」と思われている学問分野でも、実は非常に重要な所で役に立つのだ、だからこそ大学で勉強する価値があるのだ、ということを目の前の自分の学生に納得させられるストーリーやロジックとは、例えば、こんな内容ではないかと思うのです。

中退問題の前提

中退問題、思いがけない反響を頂いてびっくりしています。このA大学のAくんは完全なフィクションなのですが、どうも多くの人の心の琴線に触れる何かがあったみたいですね。今度はC大学のC君を登場させようと考えています。A君よりさらに勉強ができず、家庭状況は変わらず、アルバイトも始めるのですが、それでも退学せずに頑張ることができる機会を与えようと努力している大学を舞台にしたいと思います。こちらももちろんフィクションです。

さて、このブログで大学の退学者問題を扱ったのは、多くの人に退学者問題の現状をお伝えしたいと思ったからです。そこで、ある種の典型例としてAくんを登場させてみました。現場で格闘している大学教員の方々からは「大変リアルだ」と好評でしたが、中には大学教員自身でも、多くの学生がこういうプロセスで中退に至っていることを知らない人も多いと思います。ましてや大学関係者以外の方からみたら、理解できない内容になっていたかもしれません。

そして、退学者問題を議論するにあたり、一つの前提条件が共有されていないと議論がすれ違うこともよくわかりました。

その前提条件とは、
「現在の大学進学率50%超の状況を生み出したのは、日本経済の構造変化が大きな要因である。ITの発達とアジア諸国の経済発展のために、20年前には存在していた正規社員の仕事の非正規化やアウトソーシング化が進み、日本から消滅しかけている。その結果、高卒で就職できる機会が激減し、大学進学率が急増した」というものです。

(参考)「法政大学の児美川孝一郎氏は、1992 年から 2010 年の間に高校新卒者求人数が 8 分の 1 に減少したことを指摘しつつ,「日本においては,高卒後『無業』のままの若者たちが,大量に街にあふれ出るといった事態を防いでいる……(中略)今日の大学や専門学校という存在は,冷徹に観察すれば,若年層における『潜在的な失業人口』をプールする場所として機能している」と述べている。(児美川孝一郎『若者はなぜ「就職」できなくなったのか?─生き抜くために知っておくべきこと』日本図書センター,2011 年,68-71 頁。)

つまり、「高校で就職できず、大学に進学するしかない」層が大学に来ているということです。工業高校・商業高校で就職できる人は成績優秀なほんの一握りの人たちになりました。かつては経理ができたら企業に就職出来ましたが、現在、経理アウトソーシング化される仕事の代表です。北九州市にも大規模な大手のサービスセンターが誘致され、多くの企業の経理等を引き受けています。このサービスセンターに勤務している人はほとんどが派遣社員です。

あるいは、「勉強はできないけれど、高校で就職する意志も能力もないため、言われるがままに大学に進学」している層もたくさんいます。多くの高校が普通科であるため、特定の職業教育を行うわけではありません。普通科を卒業して就職できる仕事はいまや日本にはほとんどないのです。大学にいかざるを得ないという状況は同じなのです。

もちろん、私大の4割が定員割れしているにもかかわらず、さらに大学が増加し続けているという大学側の問題もあります。しかし、大学を減らした所で、進学率は減りません。進学率を減らすほど大学を減らすということは、すべての大学が定員を満たした後に、さらにそれらの大学も潰すということになります。それは不可能です。文科省は国公立を潰すことはできますが、定員が充足していて財務的な問題のない私学を無理やり潰すことはできません。したがって、現在より大学数を減らすには、真っ先に国公立を減らさなくてはいけないことになります。それはおかしな話ではないでしょうか。

さて、こうして大学進学率が(否応なしに)急増した結果、学生の経済的状況も大きく変化しました。かつては、比較的、経済的に余裕のある家庭の出身者のみが大学進学をしていたといえます。しかしその時代とは様変わりしました。学生生活実態調査などを見ても分かるように、親からの仕送りは減り、奨学金を借りている学生は増加し続けています。アルバイトをせざるを得ない状況がそこにはあります。そしてこの奨学金は給付型のものはほとんどなく、日本学生支援機構のものはすべて貸与型です。そのうちの大半は第二種(利子付き)です。

こうした変化は、日本社会の中であまりにも急激に起きたため、大学はその対応に苦慮しています。また、多くの人の認識もついていけていないのが現状ではないかと思います。

大学進学率の変化については、下のグラフをみてください。

進学率20%台の時代は25%も続いたのに、1990年代後半以降、10年単位で進学率が10%ずつ上昇しています。

よく「そもそも大学というものは〜」という人達がいますが、その人達の発言を聞いていると、殆どの場合、日本の進学率20%台の時代のことを言っていることがわかります。それは自分自身の大学時代を思い返しているだけなのです。どうせノスタルジーに浸るのなら、戦前の旧制高校から大学進学というのが「本来の大学のあるべき道」だと言ってくれたほうがまだよいではないかかと思う時もあります。

まとめると、大学進学率50%を超える状況をもたらしたのは、日本経済の急激な構造転換です。グローバル化とITの発達によって、日本社会から高卒職が激減、あるいは非正規社員化したことで、多くの高卒職が日本から消え失せ、その結果、大学進学する経済的な余裕のない家庭も含めて大学進学率が急増しているのです。

一部のトップ校だけでなく、日本の大学全般を視野に入れた議論を行うためには、こうした前提を抑えておく必要があると思うのです。